KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

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個性より学力・・・AO入試の見直し進む

Posted on: 2011年9月26日(月) 12:19

 

 

 

 

 

 

  
先日ね、関西の学生によるラクロスの大会を見に行ったのですが、ラクロスって
すごいね。格闘技なんやねぇ。野球やサッカーよりぶつかり合いが凄くってねぇ。

大興奮しました。神戸大が関西学院大に勝ち、甲南大が神院大に勝ちました。

さて、産経ニュースにこのような記事を見つけました。

「個性より学力」・・・AO入試の見直し進む。成績低下で。

リンクはこちらです。

大学が「いい学生」ってのを集めるために、かなり前から導入されてきたAO入試
やけど、ここにきて廃止したり縮小したりする大学が増えてきたとのこと。

そんなん当たり前やと思う。

一芸を持ってるってだけで入学したって、その学生にとっても不幸やし、大学側も
「学費が1人分確保できる」というハピネス以外には利点はなかろう。

確かに「いい子」は増えるかもしれぬ。導入された当初は、高校時代にヤル気が
あって、大学に入ってもどんどん多くのことにチャレンジする生徒を取り込んでお
いて、大学側で彼らを育てようじゃないかということだったんやろうな。

でも全部とは言わないまでも、ほとんどの大学に「高校時代に何かには取り組ん
だかもしれないけど学力はかなり低い生徒」を育てる土壌や気概がないのに、う
まくいくはずがないじゃないか。大学ってのはそういう場所じゃない。

学生のほうだってそう。

「やった!学力が低いのに、ラッキーなことに大学にもぐりこめた!」と思っている
学生が多いはずだ。

そのなかで「これからは大学の求める人材に育ってやろう。入学させてくれたん
だから、しっかりと努力しよう!」と思っている合格者がどれぐらいいるんやろう。

教育に対して、国策とも言えるぐらい真剣に取り組んでいる中国や韓国などを見
続けている大学側が、日本は今のままじゃ相当ヤバイぜって思ってるのは言うま
でもないだろう。
 
いわんや企業をや。
 

 

 

 

 

 

 

 
先日、物理のニュートリノに関して、かなり重要な調査結果が発表されたけど、あ
の各紙1面トップを飾っていた(日経とスポーツ紙除く)ニュースに関心を持って読
んだ日本人学生がどれぐらいいたんやろう。

もしも真実なら物理学の根幹が揺らぐ!っていう大ニュースを。

大学に入れれば万々歳!っていう教育土壌が残る日本の高校では、このどうや
ら入試とはあまり関係がなさそうな物理学のニュースには無関心なところが多か
ったのではないか?

AO入試が成果をあげるとすれば、「他の教科はダメやけど、物理に関しては日
本でも何番目かの生徒」とか、このたび東大が導入した制度みたいに「英語なら
今の日本人の中でも相当できる生徒(やけど、他は問わない)」とか、そういう生
徒たちを受け入れるための制度となるなら成功するやろうな。

そうでなくて生徒会活動を一生懸命にやったとか、ボランティアを一生懸命にやっ
たとか、もちろんそれはかなり大事なことやけど、それと大学での教育とはまぁっ
たく関係ない。

大学ってのはそういう場所ではない。大学の先生方が望んでいる学生の像っての
はそういうことではないだろう。

で、こういうことを考えていると、どういう部分に弊害があるのかっていうと、ツマラ
ン雑誌に「難関大合格者ランキング」なんてのがあって、それを載せると雑誌が売
れるからという理由で出し続けている出版社と、それに踊らされてる学校や保護者
にも相当な責任があると思う。

以前、ある雑誌の編集長と話をしていたら「ダイエット、実績ランキング、健康と医
療」の記事を載せると売れるので、週ごとに形を変えて特集を組んでるとのこと。

協力してもらえないかと言われたので、そんなツマランことには協力できぬと返答
した。実績ってなぁに?東大や京大だけが高校の実績なのか?絶対に違う。

学力的にも人間的にももっと豊かな人間を育てたいのに、「実績」を出すことにしか
関心がない学校の経営者からの圧迫によって苦しんでる教員もたくさんいる。

本当ならもっと教育について論じなければならないのに、つまり人材をどうやって育
てるんだ?これからの日本のためにってのが最重要課題なのに、それを論じようと
すると、そういった「実績」の部分が足かせになってるのが現状だったりする。

だから「実績」をあげるために、高校側もAO入試のネガティブな面に気がついてい
るにも関わらず、それを否定せずにむしろ活用してきた部分も否定できない。

もちろん生徒の進路保障という面はあるにしてもだ。

 

 

 

 

 

 

 
物理が得意な子なら、その物理を徹底的に伸ばす制度があってもいい。数学や英
語なども同じ。全部はできない子を救済すると同時に、その分野のプロを育てるシ
ステムがあったほうがいい。

模試が返却されてきたらほとんどの学校でこういわねばならない。「物理はいいけ
ど、英語と数学がこれじゃあ大学には入れないよ」と。物理はいいから、英語と数
学を頑張りなさいと。

そういった生徒をこそ救い、さらに物理を伸ばすために「お前、物理学者になれ。こ
のまま物理を誰よりも研究してみろ」と言えるシステムこそ大事なんじゃないの?

それがAOに託された要素なのではないかと。

会社の経営者やトップの方々に聞くと「正直、大学名なんてどうでもいい」と仰る。

むしろ「英語は喋れるか?それ以外の言語は?他に何ができる?これから何がし
たい?体力や精神力はあるか?」などの項目がトップに来る。

その姿勢と学校の「実績重視」の姿勢との乖離を、我々はもっと話題にしていい。

確かに少子化の現代において、実績をあげて生徒をひとりでも入学させることって
経営面にとっては大事だ。それは言うまでもない。

だけど東大を出たけど英語なんてロクに話せない学生と、地方私大を出たけど英
語も中国語も喋れる学生とでは、社会的に見ればどちらが使える人間なんだろう。

その答えがある程度一定なのであれば、高校ではどういう教育をしなければならな
いんだろう? あるいは大学入試はどうあるべきなんだろ? センター試験って、い
まのままでいいんだろうか? という部分を議論すべきではないか。

東大に入るほどの総合力はないけど、だけど英語に関しては灘や開成には負けな
いという学校があっていいし、その学校を出た「プロ」たちに求められることってのは
限りなくたくさんあるのではないか。

そしてそれが「個性重視教育」ということなのではないかと思っているのです。

 


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