灘の生徒たちが福島県立相馬高等学校を訪問したそうで、その話を前川先生とし
ておりました。相馬高校には友達がいるのでとても嬉しかったです。
さて、今日から合宿。
昨日はいつもお世話になっている甲子園五番町カイロプラクティック院の福井先生
に体じゅうを揉みほぐしてもらいました。
「木村さん、体の右側がかなり硬くなってますね」等と言いながら、体のバランスを
いつもきっちり見てくださるので、ここのところ肩凝りとは無縁の生活をしています。
あるときには足を、あるときには首の後ろを、入念にマッサージしてくださるのです。
今となってはもう福井先生のマッサージなしには僕の仕事は成り立ちません。
というわけで、万全の体調で合宿に行ってきます。
先日から「本を書きたい」という先生方と話をする機会がありましてね。どうやれば
本が書けるんでしょうかという質問を投げかけられることがよくあります。
裏返せばそれだけ物書きになりたい人が多いということなんでしょうね。
大事なものは「想い」でして。
カネを儲けたいという気持ちが先に立っている人には、とてもCPの悪い仕事だと思
うんですよ。(CP=コストパフォーマンス)
『センター試験英語リスニング合格の法則』を2冊、『東大英語リスニング』を書いた
翌年に振り込まれた印税が約50万円でした。
とても嬉しかったけど、本を3冊出してもだいたいこんなもんなんだなと思いました。
後から「3冊で50万円なら結構いいほうだ」と、ある著者の方から聞いたものです。
カネにこだわるのであれば、もっと違うことをされたほうがいいと思う。
本を書くというのは、頭の中にある想いを形にするということです。そしてそれを使っ
た人、読んだ人を、幸せにできるということです。
そしてもう1つ。
自分が死んだ後にも、自分の想いがこの世に残るということです。
永久に生き続ける人はいませんが、しかし書店さんに行けば、実は夏目漱石先生
も遠藤周作先生も、彼らの想いが今もなお残っていることがわかりますね。
本ってのはそういうものです。
僕が死んでも、体が滅びても、魂は生き続けるんだなと思えばこその本なのです。
今のところ、僕は約40冊の魂を遺すことができることになっているのですが、これら
のうち、1冊でもいいから、僕の死後も皆さんに大切にされることを願っています。
人は誰でも死にます。
でもsomething in my mindは、僕の本を読んでくださる人々がいらっしゃる限り、
生き続けるのです。これこそが物書きの特権だと思っています。
「本を書きたい」という人たちにまず理解してもらおうと僕が務めているのが、ここ
に書いたことなのです。極めてCPの悪い仕事ではありますが、しかし死後も魂が
生き続けるという意味では、極めてやり甲斐のある仕事ではないでしょうか。
さてと、合宿の準備をしようかな。
今日も僕のブログにおこし下さいましてありがとうございました。