KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

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厳しい言葉を投げてくれる人を大切に

Posted on: 2008年9月9日(火) 12:30

やる気のでるお言葉

僕は数年前からこうやっていろいろと活動していますが、応援してくださる方が
たくさんいらっしゃいます。しかしご意見を頂戴することも多々ありました。

そもそも今まで問題集を出すというと、メインは予備校の講師とか大学の先生
とかのフィールドで、中学や高校の教師で目立った活動をされている人ってのは
稀有でしたからね。それに「灘」という名前のインパクトがあるのも否定できない。

出る杭は打たれるという言葉どおり、打たれたことも多々ありました。

匿名掲示板やブログでいろいろ書かれるのは、正直屁とも思わないのですが、
面と向かって批判されると少しめげたりしていました。

ただ面と向かっての批判というのは僕も相手の方に意見を言うことができます。
そうなると僕はこう思ってるということを話し、そこから議論へと発展します。

議論が始まると、物事は前進します。

相手が「なるほど」とわかってくれることもあれば、「それでもしかし」と仰ることも
あります。そりゃ人によってモノの考え方が異なるのは当然ですからね。

でも最近は僕にモノを言ってくれる人がほとんどいなくなりました。

なので気分よく仕事ができるといえばできるのですが、こういう時こそ気をつけて
自分の考えや取り組みを客観視する必要があります。

やりたいことを全てやると言いながら、裸の王様になってはダメですからね。

面と向かってモノを言ってくれる人がいるというのは幸せなことです。言ってくれる
人だって、やはり覚悟が要る。下手すりゃ人間関係が壊れてしまいますからね。

できれば摩擦なく、ニコニコ笑いながら生活するに越したことはありませんわな。

それでも面と向かって言ってくれるのですから、その方には感謝すべきだと思う。

自分以外に自分を見てくれる人がいて、忌憚なく言葉を発してくれるっていうのは
自分の成長にとっては必要不可欠なことなんじゃないかなと僕は思っています。

それと若い人たちへ。

若いうちは「なんだ、上からモノ言いやがって」という気持ちになりがちですけれど
上からモノを言うのも覚悟が要るんだということを覚えておいてほしいですね。

本当にその人の成長を願っていないとなかなか上からモノは言えません。

愛情や好意の反意語って、憎悪や嫌悪ではない。むしろ憎悪や嫌悪というのは
考えようによれば、愛情や好意の裏返しや一部であったりもします。

愛情や好意の反意語。

それは「無関心」です。

誰も自分に関心を示してくれなくなったら生きていけません。厳しいことを言うて
くれる人こそ、実はかなりの愛情を注いでくれる人なのだと覚えておいてほしい。

もちろん誤解されていることもある。そのときは議論すればよろし。そうすれば
またお互いに成長できるし、物事は前に進むのですね。

厳しいことを言ってくれる人を大事にしましょう。

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(追記)第4回英語教師塾ですが、11月8日(土)あたりになるかも。

 


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