KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

カテゴリー別アーカイブ: 教育全般

kimutatsu

新課程でどう変わるか

Posted on: 2013年1月9日(水) 21:57

 

 

 

 

 

 

 
昨年、東大寺学園の山原先生と対談したのですが、それの第2回です。

タイトルは「新課程では大学入試はどう変わるか」です。

どう変わるかは個別に違うとは思うけど、少なくとも大学サイドが変わら
なければ入試も高校現場も変わらないのではないかと思います。

そうなるとまたしても英語ができない日本人を輩出することになります。

文科省もそんな頭の悪いことはせんでしょうから、大学側に相当な指導
を行っているはずです。

新課程になってセンター試験も個別試験(二次試験)も変わらなければ
次の「新課程」まで待たねばならないってことになるんでしょうかね。

さすがにそんな悠長なことを言うてる場合ではないでしょう。

皆さんはどう考えられますか。

少なくとも今の中1の教科書を見ると、英語の入試はこれからどんどん
難しくなってくるでしょうね。

少なくとも現在高2や高3が使っていた頃の中学生用の教科書とはぜ
んぜん違いますから。単語もかなり難しくなってる。

検定教科書で十分な気がします。あれでもちゃんと教えてあげないと
たぶん上下の格差がかなりつくのではないでしょうか。

高校生の新課程の教科書も今までのより骨があるように思いますね。

中高とも、そういうレベルです。

だからきっと自動的に入試も難しくなるんじゃないかなと思います。
生徒諸君はしっかりと勉強できますね。羨ましい限りです。

逃げないで一生懸命に勉強しましょう。部活動や生徒会活動もしっかり
頑張って、勉強と両立することが重要です。

では山原先生との対談、こちらからお読み下さい。

 
今日も僕のブログにおいでくださってありがとうございました。
いよいよ英作文の指導が始まりました。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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生徒からの年賀状に思う

Posted on: 2013年1月7日(月) 0:21

 

 

 

 

 

 

 

 

 
生徒からの年賀状を読んでいると「いつもありがとうございます」系と
「今年も全力で頑張るので変わらずご指導お願いします」系とに分か
れるなぁ。

これはとってもええことやなぁ。

去年まで多数あった「今年も鍛えて下さい」が1枚もない!

勉強は常に主体的なものや。我々にできるのはサポートなんよねぇ。
しかももう4月から高3やねんから、教員に鍛えて下さいと言うてるよ
うではアカンわなぁ。

僕は土日になると野球があったりセミナーがあったりするけど、これっ
て僕だけじゃなく、多くの灘の先生方がなんらかの活動をされてる。

生徒たちが頑張ってるんで、我々も人生をサボらない。

それを生徒たちに語ることによって「先生も頑張ってるんやな」というこ
とになる。教員(や親)こそ人生の時間を有意義に使わねばならぬ。

というか、教員が空いた時間に研修するのは当然で、休みやからって
ダラダラしてたら自分の伸びに限界がくるんよね。

教員が伸びないと生徒も伸びない。これは間違いない。

今年も我々スタッフと生徒が刺激を与え合いながら、ともに成長してい
ければいいなと思ってる。

僕はどちらかと言えば補習や追試の多い教員やけど、高3になったら
生徒たちからのリクエストを聞いて、それに従ってやろう。

いつもどおり。

リクエストがなければ補習なんてやる必要がない。授業と宿題だけで
もかなりタフやからな。

それに今年は特に理社を極めて貰わないと。

理社が悪いと合格しない。今年は英語や数学は授業中心。

いよいよ明日から三学期やな。今日は学校へ行って授業準備をしよう。

 
今日も僕のブログにおいでくださってありがとうございました。
1000枚の年賀状では足りず買い足しました。
皆さん、ありがとうございました。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

kimutatsu

Think different.

Posted on: 2012年12月30日(日) 21:26

  

 

 

 

 

 

 
福岡工大附城東高校での授業が終わったらすぐに車で博多駅近くに
あるカシオさんのビルに直行。TK九州支部の先生方に授業を行った。

TK=チームキムタツです。

TKは関東支部が最も動きが盛んやけど、関西や九州の先生方も負け
ずに頑張っておられる。

4年前には12名しかいなかったのに、今では2000名近くになってる。

さて、九州では駒場東邦の佐藤先生が東京から駆けつけてくれて、ユ
メブンを使った文法の授業を行ってくれた。

その後には僕が長いスクリプトを使って、長い放送でも気を失わずにリ
スニングができるための授業を行った。

来られていた先生方はそのまま忘年会に突入し、約30名強で盛り上
がった。

何よりいいなと思ったのは、違う学校の先生方同士であぁでもないこぅ
でもないと授業の方法について議論が起こっていたことだ。

なかなか学校の中ではできないような議論をしたり、あるいは情報交
換をしたりできるのが、TKの最もいいところだと思う。

都道府県の教委主催の勉強会とはそのあたりが全く違う。

誰も偉くないし、誰もヘボくない。業者も含めて全員が平等に議論がで
きるところがいいのだ。全員が本音で語り合える。

 

 

 

 

 

 

 
今日は『クーリエ・ジャポン』の取材を受けて、編集者の方がオフィスに
いらっしゃったけど、TKの話をしたら驚いておられた。

先生方が所属する集団で2000人なんて、今までなかったと思うなぁ。

勉強する気のある先生なら絶対に伸びる。

石黒先生のようなベテランも、通訳の柴原先生のような英語がめっちゃ
できる先生も、昨日教員になった若手も、同じように熱心に学ぶ。

その姿勢がある限り、このTKは存続し続けるやろう。

僕が逝った後でさえも。

高校教員が下で、大学教員が上というわけでもない。業者が下という
ことは絶対にあり得ない。

みんな日本人の英語をちゃんと向上させようという意識の下において
全員が常に同じポジションにいる。誰が上とか下とかあり得ん。

また来年以降も自分たちこそ英語教育の中枢にいて生徒たちを鍛えな
ければ、将来の日本はダメになるかもしれんのだというプロ意識をお互
いに刺激し合いたいなと思ってる。

今年も北海道から鹿児島までいろんなところで勉強会を開いた。

来年の2月にはいよいよ沖縄で1回やることになっています。また多く
の先生方に参加してもらえれば嬉しい。

TOEICの点数が良くても話せなければ意味がない。試験の点数が取
れる人間じゃなくって、英語を使って世界に通用するような人材を育て
られたらいいなと願ってる。

そのためには教育の最前線にいる我々教員がしっかりしないとダメや。
しっかりとプロ意識を持って。

生徒たちのせいにするのではなく、もしかしたら自分の方法がまずい
のかもしれぬと自問自答しながら教育していくことが重要やなぁ。

Think Different.

ジョブズは考え方を固定化させていてはならないと言いました。そうし
てThink different.という言葉を使いました。

我々はコンピュータではなく、人を創造する職種に携わっている人間や
からこそ、今までこうやってきたから・・・という考えではなく、常に自分
の方法や考え方を見つめ直しながら進めていかねばならぬ。

Think different.

今使っているその本で本当に上がるんやろうか。今使っているその方
法で本当に英語力は上がるんやろうか。みんなが使ってるからという
安易な理由で選んでないやろうか。それでいいんやろうか。

そういう気持ちを大事にしながら、また来年も努力していきたい。

今年もあと1日ですね。明日は今年の手帳を繰りながら、来年以降の
自分にゆっくりと想いを馳せようと思っている木村です。

 
今日も僕のブログにおいでくださってありがとうございました。
年賀状ですが、あと400枚ぐらいコメントを書けば終わります。
八杉先生、河原先生、佐藤君、葉書きをありがとうございました。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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新課程で英語教育は・・・

Posted on: 2012年12月13日(木) 0:02

 

 

 

 

 

 

 
英語Aの採点はおおむね終わりました。あとは英語Bやけど、あれは
すぐに終わるな。ほとんど記号にしたからな。

定期考査やからと舐めてる生徒はだいたい入試でも不合格になるんで、
まずいなと思ったら面談するんやけどね。

それでも勉強せん子はしゃないなぁ。また呼び出して厳しく指導したろ。

今回の期末考査は長文を10題出しました。

大問1から10まで全て長文の問題。試験時間が50分やから1題あた
り5分で解かないとあかんことになるんやなぁ。

でもちゃあんと復習しとったらそんなぐらい屁でもないわな。

と思ってたら、やっぱり屁でもなかった。来年以降はこのパターンがひ
たすら続く。毎回の定期考査は長文10題。

その日のうちに復習する子とせぇへん子ではどんどん差が開く。
こちらはそうならないように毎日復習せざるを得ないシステムを考えて
やったってるけど、それでもやらん子はしゃないな。

個別に厳しく指導しよ。

和訳問題はゼロ。だって和訳問題とか日本語で説明しなさいって問題
とかは全訳を見て勉強しても対応できるからな。

それでは英語力が付かんわ。定期考査は模試とは違う。

さて、先日岡山の大きい会社に行って対談してきました。東大寺学園
の山原先生と。彼とは結構長い付き合いになるなぁ。

大野さんから連絡があって、HPにその対談の様子がアップされたそう
なので、こちらのほうにもリンクを貼っときますわ。

題して「新課程で英語教育はどう変わっていくのか」という対談。

各政党の候補者が「英語がバリバリにできるように教育改革やります」
って叫んでるのを聞くと、思わず具体的に方法を説明せいよと言いたく
なりますなぁ。素人が勝手なことを言うたらあかんなぁ。

文部科学省のお役人に「お前ら、頼むで」って言うだけやと思うけど。

文科省も大変やねぇ。おたくら、ホンマに大変やと思うわ。
おたくらも英語のプロやないのにね。英語で授業やれぐらいしか思い
つかんのもしょうがないかもしれんなぁ。

でも文科省からほとんど丸投げされる公立の英語教員も大変やねん。
なんせ官僚は具体的な方法なんて全く示してくれはれへんからね。

というわけで、こちらからお読みいただければと思います。

これは単に一部でしかないので、続きはまたアップされるんでしょう。

その時にはまたこのブログでリンク貼らせてもらいますので。

 
今日も僕のブログにおいでくださいましてありがとうございました。
来年は英語のでけへん子を徹底的に救いにいったらなあかんなぁ。
あと1年でこの子らともサヨナラか。なんや寂しいもんやな。

  


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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最近強く思ってること

Posted on: 2012年12月6日(木) 13:13

 

 

 

 

 

 

 
仙台セミナーでの佐藤先生の講演。この懇切丁寧な説明と物腰の柔
かさには定評がある佐藤先生は『ユメブン』を使って講演された。

 

 

 

 

 

 

 
鈴木先生の講演。山形スピークアウト方式の実践報告が中心で、生徒
たちが英語で喋る様子を動画で紹介しながら行っておられた。

 

 

 

 

 

 

  
これは仙台白百合学園の亀谷先生の講演。『ユメタン』の使用事例を実
際に授業形式で行っておられた。

 

 

 

 

 

 

 
そしてこれが僕の講演。それがさ、写真をみるとオーディエンスが爆笑
してるのしかなくて、これがまだ一番まともな感じなのです。

鈴木先生と亀谷先生、山形の山口先生、福島の木村先生、仙台の新
田先生、秋田の草階先生からお礼のメールを頂戴し、山形の松木先生
からはお葉書きを頂戴した。こういうのは嬉しい。

こちらこそありがとうございました。東北、今年は何回行ってんやろ。

お陰で東北にも友達がたくさんできて嬉しく思っています。

おおきにありがとうございました。

今週末は大阪、来週は横浜、翌日が博多でセミナーを行います。
大阪が162名、横浜が100名、博多が61名の方々がご参加される。

博多は定員が30名だったのを急遽増やしたそうで、私学教育振興会
の方々には会場の件などご迷惑をおかけし、すみませんでした。

多くの方々とお逢いするのは何より楽しみ。

しかしあれやね、講演やセミナーでアウトプットばかりしていてもダメで、
僕こそしっかりと英語の勉強をせんとあかんね。

昔と違ってiPodひとつあれば英語の勉強ができるのはありがたいよね。
毎日英語を聞きながら、何時間も楽しんで勉強してる。

聞いてるだけではダメなので、相変わらず知らないことをひたすら覚えて、
覚えてはどんどんアウトプットしてる。要するに生徒たちと同じ。
 

 

 

 

 

 

 

 
逆に言えばiPodを学校に持っていくのを禁止している学校とそうでない
学校では、例えばリスニング力の伸びは格段に違ってくるはずやなぁ。

文科省もさ、指導のメソッドばかりに目を向けるんじゃなくて、ハード面の
ことも考えて学校を指導すればいいのに。

文科省のエライ人たち、その点しっかり頼むわ。

日本人がもっと英語できるようにならないと経済界、産業界も大変やな。
ってことは財務省はもっと文科省にプレッシャーかけたほうがいいねぇ。

でもプレッシャーかけた挙句がオールイングリッシュでの授業なんて噴
飯モノ。一部の進学校ではできるけど、全体を考えれば無理に決まって
るやん。英語がますますできなくなったら文科省はどう責任取るんやろ。

10年前の英語シーンとは全く違う現在の社会的ニーズを考えて指導を
行うことが重要で、オールイングリッシュもいいけど、それ以前にちゃんと
考えないとあかんことが山積してるってのに。

だいたいオールイングリッシュで授業したって力が伸びるわけではない
なんてことをどうしてわからないのか、本当に不思議や。

文科省の人たち、エライはずなのに。

 
 

 

  

 

 

 

 
最近はいろんな都道府県の教育委員会の人たちが僕のセミナーにご
参加されて、「これだけ英語で授業できると力がつきますね」と仰る。

でしょ?

生徒たちは英語をひたすら使ってる。でも必ずしもオールイングリッシ
ュというわけではない。母国語を使うべきところはちゃんと使う。

今の学校、今の英語の授業がかかえてる問題ってのは、全て英語で
授業をしたから解消されるってもんじゃないんよね。

もっと普通に考えればわかることをしっかり整理して、授業サンプルを
ある程度は確立しないと、現場の先生方は混乱するだけや。

今の文科省が作った授業サンプルでは全くあきませんわ。

とはいえ、現場の教員もオールイングリッシュで授業できる程度には
ちゃんと自分の勉強をしないとあかんと、僕は思う。

オールイングリッシュで授業をやるかどうかは別として。

その程度には英語のプロとして努力をしないとあかん。忙しさを理由
にしとったらあかんと思うなぁ。

というわけで、文科省の人たち、しっかり頼むわ。
特にEnglish Departmentの人たち、たいていの人たちは優秀なはず
なので、本当にちゃんと考えてほしいな。

僕は少なくとも国公立大学の全ての学部、全ての学科や専攻の授業
はオールイングリッシュで行うべきやと思う。

そうしないとグローバル人材は作れない。

そして高校ではそのために何をすべきかを考えて、しかるべき準備を
するし、中学や小学校ではその前段階として必要な教育をやる。

大学入試はリスニングとスピーキングをベースにしたシステムを構築。
英語で授業をするのだから、それに耐えうる人でないと合格させない。

そういった、言うならば小中高大接続のプランをパラダイムとして確立
する。

コペルニクス的転回なんて要らない。経済界、産業界のニーズをベー
スにすれば、全部見えてくると思う。

そしてそれを整理するのが文科省の仕事ではないかと。

文科省にはおおいに期待してるし、これ以上英語ができない日本人を
増やすべきではない。

僕のメソッドが役に立てばこんなに嬉しいことはない。
そして僕のメソッドの方向性は文科省が目指している方向とほとんど変
わらないものだと確信してる。

日本人はもっと英語ができるようになる。そうしたらもっとこの国は伸びる。

 
今日も僕のブログにおいでくださってありがとうございました。
チームキムタツの先生方の数が2000人近くになりました。
さすがに全国の英語の先生がこれだけ集まると面白いことが
できそうな気がしますね。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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Change

Posted on: 2012年11月29日(木) 18:19

 

 

 

 

 

 

 
この1年は内田樹先生や茂木健一郎先生と知り合えて本当に面白か
ったけど、今まで著名な人と出逢ってきて最もインスパイアされたのが
安河内哲也先生です。

マーク・ピーターセン先生も別の意味でインスピレーションをもらったが。

安河内哲ちゃんのパワーはとんでもない。

僕なんかは彼の足下にも及ばない。

さっきも哲ちゃんと電話で話をしてたんやけど、僕も哲ちゃんもウワーと
喋って、「こういう資料送るから」「おぉ、頼むわ」「こういう雑誌で対談で
もしない?」「いいねぇ!」なんて感じで話が飛びながら進む。

英語教育の中核、特に公教育に影響を及ぼす立場にいて、頑張って
もらえたらいいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 
未だに京大型の古臭い入試しか作れない大学に喝を入れることができ
るのは、我々現場の人間だと思ってる。

京大、お前、その程度の問題しか作れなくて恥ずかしくないのかよと。

さらに大学の先生方にもうちょっとまともな英語の問題を作ってもらえん
のでしょうかと言えるのも、中学や高校の現場の教員だと思ってる。

大学の先生方も忙しいんだろうけど、高校の教員向けに指導法なんか
のセミナーなんてやらなくていいから、大学の入試そのものをなんとか
してもらいたいと強く願ってる。

オールイングリッシュで授業をしたとしても、あの入試じゃオールイング
リッシュで授業した甲斐がないわ。

穴埋めだの四択だの下線部訳だの。

大学入試が変われば高校や中学の授業は変わらざるを得ない。

今のままじゃ俺たちがいくら「英語が使えるように」と生徒たちに訴えか
けたとしても、目の前の大学入試を小目標にしてる生徒や親にとっては
「そうは言っても・・・」ということになろう。

その気持ちは痛いほどわかる。

灘のように入試にはあまり目が行ってなくて、大学に入ってからのことを
すでに考えている生徒ならばリスニングやスピーキングも勉強するけど、
余裕のない生徒たちはどうしても入試を目指して英語の勉強をする。

だから大学の先生方にこそ、作問技術を磨いてもらって、日本人の英語
力がどんどんつくような問題を出してもらえれば嬉しい。

というような話を、いつも哲ちゃんとはしてるんやけど、なかなか日本の
英語教育はこの20年ぐらい変わらなくてね。

センター試験にリスニングが入った変化ぐらいで。それも2回も流れる。
実際の英語使用シーンには全くそぐわないリスニング。

これから日本社会がますます変わって英語のニーズはどんどん増す。

そのなかで「日本の子供たちの英語力じゃ戦力にならないから、韓国
や中国から人材を採用するか」ってことになったら、どういうことになる
んやろうね。実際、もうそういう動きはかなり進んでるけどさ。

海外の人材を採用することを覚えた企業。

おかげで日本は、少子化が進んでるのに就職難らしい。

母体が少なければ就職しやすくなるはずなのに。要は戦力が少ないっ
てことや。大学の名前がどこであれ、即戦力となる学生が増えれば。

そのためには大学こそ、グローバル人材を求めた変化を。

大学の授業は全て英語で。入試はリスニングの配点をせめて半分に。

そうすれば俺たちも英語の授業を変えざるを得なくなる。

そうすれば日本人はきっと東大ではなく、ハーバードやイェールに目を
向け始めるやろうし、オクスフォードに目を向け始めるやろう。

そうなったときこそ、文字通りのグローバル化と言えるのではないか。

よく中学や高校の授業を受けたのに英語が話せないといわれますが
大学も含めて10年間も英語をやるのです。

なのに東大を出てもあまりちゃんと英語が話せないという現状を我々
はしっかりと認識して、中高大がそろって変わらねばならないのです。

僕の本は今までの単語集や今までの読解問題集とは違います。

『国立大学入試リーディング』には構造分析の記号を入れませんでし
た。『ユメタン』や『ユメジュク』はCDを使って学習してほしいと書きま
した。編集者の希望がなければ、スラッシュを引きませんでした。

全て「英語を使える日本人であってほしい」という、僕なりのメッセー
ジなのです。理解してもらえれば本当に嬉しいなと思います。

 
今日も僕のブログを覗いてくださってありがとうございました。
明日は生徒指導の仕事で三宮を巡回します。寒いけど頑張ろう。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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親がしてはならないこと

Posted on: 2012年11月5日(月) 21:02

 

 

 

 

 

 

 

 

 
松江北高校では保護者対象の講演会をやらせてもらうことになっています。
よく「親はどうすれば成績があがりますか」と聞かれます。

が、親がこうしたからといって成績が上がるものではありませんがな。

勉強は生徒たちが主体的にやってはじめて成績が上がるのです。
小学生時代とは全く違うのです。

だから「親がこうしたら上がるという話はできません」と返事をします。

でも「こういう親だと生徒の成績は上がりにくい」という話ならできます。

たとえば自分の子どもに学校や先生の悪口を言う親です。

嘘だと思ったら子どもに「あの先生は良くない、あのやり方では上がらない」
と言うてみてください。幾度となく言うてみてください。

たいてい、その教科の成績は上がりません。

何より生徒たちは親のことをウザいと思います。学校のことに口出しする時
点で家に帰るのを、あるいは親のことを、とてもウザく感じるものです。

さらに生徒が先生の言うことを信じて頑張っている場合ですね。

親が学校や先生の悪口を言ったりすると、なんなんでしょうねぇ、潜在意識
の中でその教科をネガティブにとらえてしまうんでしょうか。

とにかく親が悪口を言えば言うほどその教科の成績は上がりません。

だから保護者向けの講演を頼まれたときは、今までの25年間の実例を示し
ながら、もしも先生や学校に対する意見があったとしても、子どもの前では
絶対に言わないほうがいいですよと言うことにしています。

むしろ先生のことを褒めてみてください。普通は成績が上がります。

 
 

 

 

 

 

 

 
むろん本当にこの先生はどうかなぁと思う場合、その先生本人に質問するべ
きです。そうして納得がいくまで話し合うべきだと思うのですね。

これがたとえばいきなり校長あたりに直訴したりすると絶対失敗しますが。

なぜなら校長がその先生に伝えることはほぼ100%ないからです。

したがって何も解決しません。

学校は塾とは違いますから、親のひとりひとりの言うことを聞くわけにはいき
ません。難しいリクエストにはなかなかお応えできません。

でも話し合いならできます。

そんなことより親がすべき重要なことがあります。

ここに書いてしまうと週末に話すことがなくなるので、またの機会に書きま
すね。賢明な親御さんならわかるとは思いますが。

生徒たちは家の外で闘っているのです。朝から夕方まで。

彼らが家ですべきことは1つしかありません。したがって親がすべきことも。

小学生のときの塾漬けに慣れてしまっている親御さんだとわからんかもしれ
ませんが、高3生ともなると自我が芽生えていない小学生とは違うのです。

とにかく松江北高校では「親がしてはいけないこと」に焦点を当てて話をして
くるつもりです。多くの方々にお逢いするのを楽しみにしております。

 
今日も僕のブログにおいでくださいましてありがとうございました。
僕の生徒たちは月曜の文法テストと水曜のユメジュクテストを頑張って
います。彼らもまた闘っています。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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我欲再考入試制度

Posted on: 2011年12月14日(水) 13:31

 

 

 

 

 

 

 

 

グァムに行ってきた酒井社長から写真が送られてきました。娘さんが砂浜に書
いてくれた「キムタツ」が嬉しいなぁ。ありがとうね。

センター試験が近づいてきましたね。受験生はセンター試験と二次試験の勉強
比率をどうするかと考えるかもしれませんが、センター試験で点数が取れないと
入試を受験する機会さえ失いかねないので、センターに絞るべきでしょう。

たまに間違えている人がいますが、センター試験は入試ではありません。

言うなれば資格試験みたいなものです。センターを受ければ入試を受ける資格
が与えられると考えればいいのです。

合否はセンター試験と入試との合計点数で決まりますので、センター試験での
持ち点が多いほうが有利だということになります。

センター試験が本当の意味での資格試験になるのも近いと思うのですが、今は
まだ点数が多いほうが有利です。資格試験になると、状況が変わります。

例えば650点というラインを設け、それをクリアすれば700点も900点も全く同
じという形になりますので、そのラインを余裕でクリアできる生徒は二次試験の
勉強に没頭できるわけです。

つまり今のように合算で合否が決まるのではなく、二次試験の点数のみで決ま
ることになりますから、勉強しやすいですし、理系の人がやたらと歴史を勉強し
なければならないとか、そういうことはなくなります。

逆に650点をクリアできなければ、一切の入試を受験する資格を失うと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
まだあと数年はかかりそうですね。資格試験になったほうがいいと思うなぁ。

その代わり、今のセンター試験みたいに英国数が200点で、理社が1科目とか
じゃなくて、資格試験にするならば、僕らの頃のように理社も2科目ずつになる。
でないと、選択する科目以外の授業はサボる生徒が出てくるから。

いずれにしても今のセンター試験のシステムはあまりよくありません。

あんな程度の試験で点数が取れれば合格するという国公立大学が大半なので
すから、大学生の学力が激落ちするのも当然だと思うんです。

お隣の国では若い人たちにどんどん勉強してもらって、国力を上げないとヤバ
イ!って感じでシステムを再構成しているのです。

日本は教育に関して言えばのんびりしていますね。

高1高2レベルのセンター試験で高得点=国公立大合格みたいな現システム
はただちに止めて、各国公立大学が独自に優秀な生徒を集めるようにしたほう
が、大学側にとってもいいし、生徒のほうにしても勉強しやすいはずです。

文部科学省の皆さん、というかエライ人たち、資格試験化に向けて動いておら
れるのは知ってるけど、1年でも早くしてほしいなぁと願っています。

 
今日も僕のブログに来てくださってありがとうございます。
やっと期末考査の採点が終わりそうです。英Aの平均は70点程でした。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

kimutatsu

様々な教育改革

Posted on: 2011年12月7日(水) 1:17

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで採点も進まず、じっとPCの画面を見つめながら・・・ある教材を作
成しとるんですがな。まぁ、逃避と言えば逃避やな。

高1の授業における自分の収穫が2つありまして。

1つはリスニングの授業をしっかりすると、単語力、文法力、読解力(特に速読
力)が驚くほど付いてくるもんなんやなぁと気付いたこと。

もう1つは英語ってのは、ここからここまでが文法、ここからここまでが読解なん
て感じで授業をやっていると、英語があまり伸びないんやなぁということに、これ
また気付いたこと。

とは言うても、多くの学校で授業を4:2とか4:3とかに分けて、複数の教員が
担当してることが多いので、いくら連絡を密にしても結構難しいはずだ。

橋下市長が何かと改革しようとしてるけど、僕が橋下さんに助言をするならば、
ひとりの生徒を複数の教員で持つのを禁止して、完全責任制にすればいいと
思うんやけどな。

それに短い年数で異動させようとしてるみたいやけど、あれって逆効果になる
はずだ。高2→高3→高1→高2で異動・・・では教員が育たん。

校務分掌ではなく、「教科を教える」ということに責任を持たせて、どんなレベル
の生徒であってもちゃんと伸ばせるように、教員が頑張るべきではないかと。

教育改革って簡単に言うけど、もっと現場でちゃんと頑張ってる先生方の声を
反映させないと、識者ってことで現場を離れて数年も経つような大学の先生を
ブレーンに置いてピーチクパーチクやっても、絶対に良い改革はできまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
授業力向上セミナーをアルクさんがやってくれていて、そこでは各教科の指導
法について僕らが出ていって話すことが多いんやけどね。

それ以前に「伝える力」がない人が教員をやってる場合、指導法以前にやるべ
きことがたくさんある。だって英語や数学を伝える前に、肝心の「伝え方」が下手
なんやから、そりゃ生徒は寝る。

英語教師塾でも僕が指摘するのはほとんどがそういう部分だ。

不要な「えー」が多い。「あのぉ」や「だから」が多い。例示するわけでもないのに
口ぐせのように「例えば」を多用したり「けっこう」が多い。ニワトリか?

大事なことってのは教育システムやカリキュラム以外にもいっぱいあって、それ
をもっとちゃんと考えていかないと、教室って活性化しないんやないかなぁ・・・
と、高校時代に劣等生だった僕は考えてるのです。

いろんな改革があっていい。

組織が考える改革は、教育的効果と教員の資質向上について考えて頂きたい
ところではあるが、教員の個人レベルでの改革という観点で考えることだって、
かなり求められている部分ではないやろうかね。

例えば僕の周囲で「授業が上手いな、この人は」と思う人ってのは、英語の教
え方もさることながら、話し方や伝え方、空気の作り方が上手い。

水口さんと佐藤君は上手い。西山君と丸山君は教師塾で叩かれながら、とても
上手くなった。他にも上手い人たちはいる。

逆に英語はよくお出来になるんだろうになぁ・・・という人もいらっしゃる。

話し方、伝え方だけで英語力が大したことないというのでは困るが、その逆だっ
てかなり困るよね、生徒たち。

いろんな「教育改革」があっていい。土曜日の東京での独演会では、授業力向
上のための「伝え方のスキルアップ」についても話ができればいいなと。

教科をどう教えるかより、まず「教える」「伝える」ということができないと話になり
ませんわな。だからそういう話も含め、学校の実績をどう上げていくのかという話
をさせてもらおうと思ってるのです。

 

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

kimutatsu

個性より学力・・・AO入試の見直し進む

Posted on: 2011年9月26日(月) 12:19

 

 

 

 

 

 

  
先日ね、関西の学生によるラクロスの大会を見に行ったのですが、ラクロスって
すごいね。格闘技なんやねぇ。野球やサッカーよりぶつかり合いが凄くってねぇ。

大興奮しました。神戸大が関西学院大に勝ち、甲南大が神院大に勝ちました。

さて、産経ニュースにこのような記事を見つけました。

「個性より学力」・・・AO入試の見直し進む。成績低下で。

リンクはこちらです。

大学が「いい学生」ってのを集めるために、かなり前から導入されてきたAO入試
やけど、ここにきて廃止したり縮小したりする大学が増えてきたとのこと。

そんなん当たり前やと思う。

一芸を持ってるってだけで入学したって、その学生にとっても不幸やし、大学側も
「学費が1人分確保できる」というハピネス以外には利点はなかろう。

確かに「いい子」は増えるかもしれぬ。導入された当初は、高校時代にヤル気が
あって、大学に入ってもどんどん多くのことにチャレンジする生徒を取り込んでお
いて、大学側で彼らを育てようじゃないかということだったんやろうな。

でも全部とは言わないまでも、ほとんどの大学に「高校時代に何かには取り組ん
だかもしれないけど学力はかなり低い生徒」を育てる土壌や気概がないのに、う
まくいくはずがないじゃないか。大学ってのはそういう場所じゃない。

学生のほうだってそう。

「やった!学力が低いのに、ラッキーなことに大学にもぐりこめた!」と思っている
学生が多いはずだ。

そのなかで「これからは大学の求める人材に育ってやろう。入学させてくれたん
だから、しっかりと努力しよう!」と思っている合格者がどれぐらいいるんやろう。

教育に対して、国策とも言えるぐらい真剣に取り組んでいる中国や韓国などを見
続けている大学側が、日本は今のままじゃ相当ヤバイぜって思ってるのは言うま
でもないだろう。
 
いわんや企業をや。
 

 

 

 

 

 

 

 
先日、物理のニュートリノに関して、かなり重要な調査結果が発表されたけど、あ
の各紙1面トップを飾っていた(日経とスポーツ紙除く)ニュースに関心を持って読
んだ日本人学生がどれぐらいいたんやろう。

もしも真実なら物理学の根幹が揺らぐ!っていう大ニュースを。

大学に入れれば万々歳!っていう教育土壌が残る日本の高校では、このどうや
ら入試とはあまり関係がなさそうな物理学のニュースには無関心なところが多か
ったのではないか?

AO入試が成果をあげるとすれば、「他の教科はダメやけど、物理に関しては日
本でも何番目かの生徒」とか、このたび東大が導入した制度みたいに「英語なら
今の日本人の中でも相当できる生徒(やけど、他は問わない)」とか、そういう生
徒たちを受け入れるための制度となるなら成功するやろうな。

そうでなくて生徒会活動を一生懸命にやったとか、ボランティアを一生懸命にやっ
たとか、もちろんそれはかなり大事なことやけど、それと大学での教育とはまぁっ
たく関係ない。

大学ってのはそういう場所ではない。大学の先生方が望んでいる学生の像っての
はそういうことではないだろう。

で、こういうことを考えていると、どういう部分に弊害があるのかっていうと、ツマラ
ン雑誌に「難関大合格者ランキング」なんてのがあって、それを載せると雑誌が売
れるからという理由で出し続けている出版社と、それに踊らされてる学校や保護者
にも相当な責任があると思う。

以前、ある雑誌の編集長と話をしていたら「ダイエット、実績ランキング、健康と医
療」の記事を載せると売れるので、週ごとに形を変えて特集を組んでるとのこと。

協力してもらえないかと言われたので、そんなツマランことには協力できぬと返答
した。実績ってなぁに?東大や京大だけが高校の実績なのか?絶対に違う。

学力的にも人間的にももっと豊かな人間を育てたいのに、「実績」を出すことにしか
関心がない学校の経営者からの圧迫によって苦しんでる教員もたくさんいる。

本当ならもっと教育について論じなければならないのに、つまり人材をどうやって育
てるんだ?これからの日本のためにってのが最重要課題なのに、それを論じようと
すると、そういった「実績」の部分が足かせになってるのが現状だったりする。

だから「実績」をあげるために、高校側もAO入試のネガティブな面に気がついてい
るにも関わらず、それを否定せずにむしろ活用してきた部分も否定できない。

もちろん生徒の進路保障という面はあるにしてもだ。

 

 

 

 

 

 

 
物理が得意な子なら、その物理を徹底的に伸ばす制度があってもいい。数学や英
語なども同じ。全部はできない子を救済すると同時に、その分野のプロを育てるシ
ステムがあったほうがいい。

模試が返却されてきたらほとんどの学校でこういわねばならない。「物理はいいけ
ど、英語と数学がこれじゃあ大学には入れないよ」と。物理はいいから、英語と数
学を頑張りなさいと。

そういった生徒をこそ救い、さらに物理を伸ばすために「お前、物理学者になれ。こ
のまま物理を誰よりも研究してみろ」と言えるシステムこそ大事なんじゃないの?

それがAOに託された要素なのではないかと。

会社の経営者やトップの方々に聞くと「正直、大学名なんてどうでもいい」と仰る。

むしろ「英語は喋れるか?それ以外の言語は?他に何ができる?これから何がし
たい?体力や精神力はあるか?」などの項目がトップに来る。

その姿勢と学校の「実績重視」の姿勢との乖離を、我々はもっと話題にしていい。

確かに少子化の現代において、実績をあげて生徒をひとりでも入学させることって
経営面にとっては大事だ。それは言うまでもない。

だけど東大を出たけど英語なんてロクに話せない学生と、地方私大を出たけど英
語も中国語も喋れる学生とでは、社会的に見ればどちらが使える人間なんだろう。

その答えがある程度一定なのであれば、高校ではどういう教育をしなければならな
いんだろう? あるいは大学入試はどうあるべきなんだろ? センター試験って、い
まのままでいいんだろうか? という部分を議論すべきではないか。

東大に入るほどの総合力はないけど、だけど英語に関しては灘や開成には負けな
いという学校があっていいし、その学校を出た「プロ」たちに求められることってのは
限りなくたくさんあるのではないか。

そしてそれが「個性重視教育」ということなのではないかと思っているのです。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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