KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

カテゴリー別アーカイブ: 教育全般

kimutatsu

一人ひとりの熱心さがあってこそ

Posted on: 2010年9月25日(土) 22:52

  

  

  

  

  

  

  

  

  
男女を問わず、いろんな先生方から大仏マスク画像が送られてくる。
これはきっと喜ばしいことなんやろう。上の写真は博多の先生です。

さて、体育祭ですが、23日は大雨警報のために昨日に延期になり、
昨日は無事行われました。

僕は野球部の出張があったので途中で抜けたけど。

無事できたようでホッとしております。

1組から4組までが縦割りになるため、例えば中2ー2組を高3-2が
応援している風景は非常にいいと思う。

灘って学年の横のつながりは強いけど、縦のつながりが弱い気がする。
なので体育祭の縦割りは非常にいいことやと思うなぁ。

生徒諸君、特に体育委員長、お疲れさまでした。

高3はこれが最後の学校行事になるので、きっと謳歌したことやと思う。
残りの灘ライフをエンジョイしてください。合格したら、本当に心の底から
この学校に来てよかったと思えるはず。頑張ろうぜ。

  

  

  

  

  

  

  

今日25日はチームキムタツ関東支部の先生方が多数お集まりになり、
中央大学横浜山手高校さんでセミナーを行っておられる。

先ほど懇親会をやってるところに電話をさせていただいた。

今回のテーマは「成績下位層の指導における工夫」ということでした。

幹事の佐藤先生、お疲れさまでした。発表者の石崎、加藤、水口、橋本
各先生方もお疲れさまでした。

こういう会に積極的に参加している先生方って、長い目で見ればきっと、
そのご指導が上手になられると確信してる。

逆に動かずに、システムや職場に対する愚痴や悪口、あるいは生徒の
批判ばかりしている教員になっては成長しない。

そんな教員であってはならんのです。

自分の足りないところを謙虚に受け止めて、いろんな書物を読んだりとか
あるいはこういう会に参加したりとかして、もがかないとあかんのです。

今、チームキムタツには北海道から鹿児島まで800名以上の先生方が
登録していらっしゃるのです。

熱心な先生方がどんどん増えて、教室から教育が変わっていくことこそ
理想的なんやと確信しています。

教育を変えるのは政治家でも文科省でもない。現場の教員なのですよ。

一人ひとりの熱心さが、教育全体を変えるピースになると信じています。

 

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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勝負師が仏の顔を持ったら終わり

Posted on: 2010年9月12日(日) 2:04

  

  

  

  

  

  

 

 

  
ゴロゴさんと僕は呼んでるのですが、板野先生からメールを頂戴しました。
古文単語のゴロ565で有名な板野先生です。

千葉の書店さんで僕の『ユメタン』が平積みになって置いてありますよとい
って写メを送ってくださいました。ありがとうございます。

ちなみに夏に札幌に行ったとき、ジュンク堂の前田さんが「英語はキムタツ
先生の本、国語は板野先生の本が凄く売れてます」と仰ったので、そこから
板野先生に写メを送ったのですが、それのお返しをしてくれはったんやな。

で、それはそれとして・・・

塚田選手、引退されるんですね。びっくりしました。

アテネで金メダル、北京で銀メダルを獲得した柔道の塚田選手ですが、
今回の世界選手権では3位に終わったのです。

読売新聞からの抜粋です。

********************

塚田は9日の世界選手権同級で3位に終わり、全日本柔道連盟の吉村
和郎強化委員長と今後について話し合い、「燃えるものがなくなった」と強
化選手を辞退する意向を伝えた。

吉村委員長は「ふがいない試合内容だったし、(ライバルの)杉本美香が
金メダルを取ったことを素直に喜んでいた。勝負師が仏の心を持ったら終
わり」と語った。

13日に出場予定だった女子無差別には起用せず、今後は他の国際大会
にも出場させない考えだ。

*********************

吉村さん、厳しいですね。しかしこの「勝負師が仏の心を持ったら終わり」と
いう言葉は重いよね。自分はここまで鬼になれるかなぁ。

もちろん俺たち教員はさすがに生徒にこんなことは言わないけれども、しかし、
生徒たちが受験に対して「勝負師」であらねばならないのは事実。

受験という勝負に際して、甘いことを言うてる生徒がいたとして、どんな言葉を
教員としてかけるんやろうと考えてしまいました。

ここという時こそ甘い笑顔を見せずにしっかりと指導できる教員でありたい。

この厳しさがあったからこそ、日本の柔道の選手たちは通算100個もの金メダ
ルを獲得してきたんでしょうね。

成績が伸びないんですと嘆いているわりに、問題集1冊も徹底して潰せないよ
うな生徒たちに、自分はどういう言葉をかけるんやろうか。

勝負師になれない生徒たちに、どういう姿勢で臨むべきなんやろうか。

そもそも教員は生徒たちのモチベーションをそこまで上げてやらねばならない
のやろうか。モチベーションってのは自分の責任で上げるもんじゃないのか。

塚田選手引退の記事を読みながら、いろんなことを考えている木村なのです。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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やらなあかんこと、いっぱいあるねん

Posted on: 2010年8月26日(木) 21:12

 

 

 

 

 

 

 

 

  
教師塾やセミナーにいらっしゃった先生方からのお礼のメールが
止まりません。今日もたくさんの先生方からメールを頂きました。

その中の1通をご紹介いたします。僕より年上の公立高校で教鞭
をとっていらっしゃる、ベテランの先生です。

*********************

初参加の英語教師塾。
言葉では表せないほどの感動がありました。
教師生活も28年目に入りましたが,
過去のどんな研修よりもためになりました。しかも断トツで。

とにかく,自分の授業の欠点・弱点がはっきり見えてくるのです。
だから,次への展望が見えてくるのです。
そして,ワクワクしながら教材研究ができるのです。

私だけでなく,多くの先生方の共通の欠点として,
アウトプットをやらせていない,アウトプットまで目指していない
ということが分かりました。
これは非常に大きな発見でした。

おそらく参加された多くの先生方も,
アウトプットさせてなかったな,アウトプットを目指してなかったな,
だから生徒がワクワクせず,力もつかなかったんだなと感じたことでしょう。

しかしそれが分かると,今度は目の前に立ちはだかるとてつもなく高い壁に
気づくのです。
木村先生がやられた英語Ⅰの模擬授業。
1セクションに何時間かけるか質問させてもらいましたよね。
2~3時間というお答えでした。

しかし,本校のような地域トップの公立高校ではおそらくどこの高校でも,
1セクションにかけている時間は1時間です。
そしてそれが常識となって,定期テストの試験範囲が設定されています。

授業を変えたい。
木村先生のような授業をしたい。
でも,1セクション1時間で進まなければならないという制約がある限り,
絶対にあのような授業はできないのです。

私がやらせていただいた英作文の授業もそうです。
見開き2ページを1時間でやらなければならないのです。
だから,あんな中途半端な授業になってしまう。

弱点には気づきましたが,
じゃあ2学期からどうすればいいのか。
次なる悩みの誕生です。

私にとっての大きな課題は,今度はその枠組みを壊すことだと今は認識しています。
生徒にしっかりした英語力を身につけさせるためには,
大昔の訳読時代に作られた常識を,そしてそれを基に作られたシラバスを
壊す必要があります。
それを変えない限り,生徒に力をつけることはできない。

公立高校の先生方は大変だというお言葉をいただきました。
ありがたいと思いました。
しかし,おそらくいま上に書いたような悩みも
多くの進学校といわれる公立高校の先生方は持っているのではないかと思います。

セミナーやブログなどで話題にしていただければありがたいです。

最後に,初参加の私に授業をやる機会を与えていただき,
本当にありがとうございました。
受身の姿勢ではなく,積極的な姿勢で参加できたからこそ,
実りも多かったのだと思います。
あんなに緊張したのも久しぶりです。

全国の先生方に顔と名前を覚えていただけたおかげで,
以前から参加されている先生方とも
あまり違和感なくお付き合いさせていただくことができそうです。
感謝,感謝です。

チームキムタツの横のつながりを
これからも大切にしていきたいと思います。
そして木村先生には,
今後もいろいろ相談させていただきます。
よろしくお願いします。

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僕よりベテランの先生が「授業を変えたい」と熱い気持ちを持っておられて
前向きにセミナーに参加されるその姿勢が生徒たちに届くのです。

先生もお書きになっていらっしゃいますが、授業をされ、他の先生方からの
指摘を謙虚に受け入れられたからこそ、気づきがあったのです。

100人のプロの前で授業をするのは怖い。

しかしそれをされ、さらに厳しい指摘を受けたからこその気づきだと思います。

いつも受け身の姿勢だったり、評論家然とした姿勢だったりすると、楽ですし
傷つかないで済む。

しかし前進はしません。

夢は動いている人しか叶えられないのですね。

この先生が書いておられるように、公立に限らずなのですが、教育界は
いろんな問題が山積していて、文部科学省云々の問題だけではない。

それを解決するために我々教員は頭を最大限に使わねばならないのに、
安倍内閣の時に決まった教員免許更新という、教員側にも大学側にも、
おそろしく無駄の多いセミナーに時間をとられている先生もおられる。

もっとやることあるねん。やらなあかんこと、いっぱいあるんや。

そして僕は思ってるのです。僕だけでなく、動いている現場の先生方こそ
それらを解決する糸口を見つけないかんのやと。

大学の先生方ではなく、高校や中学で現場にいる我々が、今こそ思考を
停止するのではなく、動き続けることが必要なのだと思っています。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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小学校英語に関して

Posted on: 2010年8月15日(日) 19:42

 

 

 

 

 

いろんな人たちから「この画像をブログで使ってくれ」といって写真が僕の
PCに送られてくるのですが、こういう写真を文章もなく添付してくるのは、
まず間違いなく山田君ぐらいです。山田君、とりあえず使ったよ。

チームキムタツのメーリングリストにはいろんな先生方からの投稿がある
のですが、橋本先生からの投稿の一部を読んで考えさせられた。

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数年前にベネッセの研究会で、耳を疑いたくなる報告を聞きました。
小学校の特区で英語を勉強した小学生の大多数が英語嫌いになって
中学校に入っていくというのです。
私自身は小学生に英語を教えた経験がないのでしっかりしたことは
言えません。しかし、小学校の英語授業を中学、高校とどう連携していくか、
などについての具体的なことは一部でしか進んでいない様子です。
せっかくやるのであればもったいない現状になっているように思います。
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文部科学省でどういう議論が行われてるのか、具体的には知らないんやけど、
少なくとも英語に関してはもう少し冷静に議論したほうがいいと思う。

「話せて聞ける」日本人を増やそうということで、小学校から英語を導入するの
であれば、それはちょっと違うと思う。

日本の環境は、例えば英語を必死に勉強している高校生たちでさえも、英語が
終わった次の瞬間には日本語で話しだすし、日本語でモノを考えるのです。

英語ができないという理由で、明らかに生活上不利益を被らない国にいるのが
われわれ日本人なのです。

それに東大を出ても京大を出ても、つまり日本で一・二を争うトップ大学を出た
連中でさえも、社会に出てから英語で苦労するのが日本という国なのだ。

それなら早いほうがいいだろっていうんで、小学校から英語を導入することにな
ったわけですが、小学校の受け入れ態勢が整ってない現状では効果は薄い。

特に勉強をスタートする時点で気をつけねばならないことがあります。

たとえば僕が中1を受け持ったときに、一番注意していることは何か。

それは英語に対して苦手意識を持たせないということです。だから中1や中2の
定期考査の平均点はだいたい90~95点に設定します。

「自分は英語ができる」という考えを持って中2を終えた生徒と、そうでない生徒
とでは、その後の勉強態度に大きな差が出ます。

勉強することは本来楽しいことなのです。勉強はしんどいけれども、しかしだなぁ
という論点は間違っていると僕は思ってる。知識欲を持っている我々からすれば、
勉強してエラクなるというのは、本来ハッピーなことなのだ。

だからこそ教壇に立つ我々教員が持っておかねばならないアティテュードがある。

まして評価には入れないということになっている小学校英語で、英語嫌いを作る
なんて意味がない。「もっと英語を勉強したい」と思わせてナンボじゃないか。

もう一度官僚のエライ人たちには議論をお願いしたいな。

 


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子どもは親の所有物ではない

Posted on: 2010年2月21日(日) 12:31

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岡本海渡クンが両親から虐待を受けた後に亡くなったというニュースを
新聞で読んで、なんとも言いようのない切ない気分になっています。

子どもは親の所有物ではない。こんな当たり前のことに気付かない親
がいるから始末が悪い。

以前ある番組で、東大に入った我が子を指して「この子は私の作品だ」
と言っているバカ親がいたが、それも違う。

子どもは親が作るのではない。子どもは親とは別人格の、社会生活を
送っている人間で、大人はその成長を部分的にサポートするのだ。

教員でも「誰それを東大に入れた」という言い方をする人がいるけれど
それも違う。その生徒が頑張ったのであって、教員が入れたわけでは
決してない。サポートが成功しただけのことだ。

逆に言えばサポートに失敗した生徒だっている。支えてやれなかった
ケースだってあるはずだ。それを忘れて「入れた」と言うのはどうか。

親も教員も子どもたちの成長を願い、彼らが自立するべく、陰ながら
サポートし、生温かく見守り、そして彼らが成功すれば共に喜びつつ、
その後はひっそりと離れていくのが正しいのではないか。

海渡クンにライターの金属部分を押しあてた義父は「しつけてまっとう
な人間にしようと思った」というような発言をしているらしい。

まっとうでないのはどちらなのか、答えを待つ必要もなかろう。

子どもは親とは別人格なのだ。この意識は絶対に必要だ。

ただし言うまでもないが、単なる放任ではダメだ。

大人は子どもにいろんなことを与え、耐えることを教え、理不尽なこと
だって家庭や学校の中で体感させればよろしいと僕は思ってる。

そして指導者や保護者が本人の成長を、ものすごく長い目で見ること
ができなければ、その指導は間違いなく失敗に終わるだろう。

東大に入ろうと現役で合格しようと、生きる力のない生徒やコミュニケ
ーション能力が欠如している子どもの場合、近い将来失敗する。

知識だけ豊富で知恵のない子どもは、間違いなく社会に出るとまったく
使えないということになる。

失敗を繰り返しながら成長してきた大人であれば、目の前の子どもが
どうすれば大きくなれるのかを考える必要があろう。

失敗することがダメなのではない。むしろ失敗経験をさせればいい。

大人がすべきは、失敗した子どもに対して、そんなことぐらいで倒れて
いたらこの先の人生でドエライことになるから早く立ち上がれと命じて、
そして立ち上がったら再び木の上に登って見ていればいいのだ。

手を差し伸べるのは、もうこれ以上立ち上がれなくなった子どもに対し
てでいいと僕は思ってる。それは放任とは違う。

親や教員には「あれこれ言わずに我慢して見守る」という能力が必要
ではないか。

海渡クンにライターを押しあてた義父と、同棲していた実母がどういう
メンタリティーであったかは、手に取るようにはわからない。

だけどきっとその人たちは、海渡クンは自分の所有物であるかの如き
感覚を持っていたのは間違いないだろう。

そして「自分の言うことを聞いてくれる子ども」、「失敗しない子ども」にな
ってくれれば、その教育や良しという考えを持っていたのではないか。

僕も我が子や生徒を見ていると、確かに口を出したい時もある。

しかしそういう時こそ「ガンバレ、ガンバレ」と念じて、もしも失敗すれば
また立ち上がってくるのを我慢して待っている。

本当にしんどそうな時だけ口を出す。

見ているのは目の前の彼らではなく、35歳や40歳になった彼らだ。
そういう年齢になったときに、魅力的な大人になっていてくれよと念じて
彼らのトライアルとエラーを生温かく見守っているのである。

手を差し伸べ続ければ、そりゃ彼らは楽なレールの上を歩けるだろう。
しかしそれでは彼らはいつまで経っても自分の足で歩けるようにはなら
ないだろう。中学2年生になっても3年生になっても自立できない。

そんなことでは困る。

そんなことだから「やる気を出すにはどうしたらいいでしょうか」なんて、
常識では考えられないぐらいアホなことを言う人間になるのだ。

指導者は子どもたちの失敗を待ち、その時に彼らがどういうスタンスで
自分の失敗に向き合うのかを客観的に見守るべきではないか。

虐待のニュースが入ってくるにつけ、もちろん子どもを育てるのは大変
だし、特に女親は精神的にしんどくなるのを重々承知しているけれど、
それでも「長い目で子どもを育てようぜ」と呟いているのである。

最後に、海渡クンのご冥福を心からお祈りしたい。今度生まれてくる時
には幸せな人生を送ってほしい。

 

 

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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授業見学について思うこと

Posted on: 2010年2月2日(火) 12:45

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昨日は大阪の近大泉州高等学校の先生方が僕の授業見学にいらっしゃり、
夜は反省会という名の飲み会を行いました。

授業を見学に来られる先生方は多いのですが、なぜかこの2月は特に多く
新学年に向けて、いろんな授業方法を模索されている様子がわかります。

僕のほうはひたすら中2生徒に向けて、英文法の授業をしています。

英文法の授業といっても解説時間は極めて少なく、むしろ机間巡視をしてる
時間のほうが長いような授業だし、生徒たちの方は『ユメ勉』に書いた方法で
これまたひたすら音読と暗唱を繰り返してる。

なので後ろに座っておられる先生方の参考になるのかどうかわからないので
すが、僕が「見学に来なさい」と言っているわけでもないので、とりあえずその
反省会で質問がある先生方にはできるだけ丁寧にお答えしようと思ってる。

明日は鹿児島の先生が、月末は大阪と佐賀の先生が、それぞれ授業見学
に来られるとのこと。

ふむ、しかし私も来年度は見学してみたいな。

進学校の先生の授業じゃなくてもいい。自分とはスタイルが違う人の授業を
見学してみたい。予備校スタイルの授業なら見学しなくてもかまわない。

解説の方法なんていうのは二次的なことで、たとえば昼休みあけの生徒たち
が眠くなりがちなコマで、どういう授業をされるか見てみたい。

そこでやたら解説ばかりして、生徒に「寝るな」というのはきつい。そりゃ生徒
じゃなくて大人でも眠くなるぞ。

あるいは中高一貫校で中だるみに陥りがちな、中3や高1での文法の授業、
多読をさせたい高3の読解授業などを見学してみたい。

そして自分との違いを見て、勉強してみたいなと思っています。

いろんな先生方がいろんな取り組みをやっておられるし、僕の方法も前に受
け持った59回生のときにはやっていなかった方法なのです。

大事なのは、前に持った方法を省みて、良かったのか良くなかったのかの判
断を自分で下し、あまり生徒の成績を上げてあげられなかったという場合は
勇気を持って、授業方法を変えようと努力することなのではないか。

近大泉州の先生がた、お疲れ様でした。たまたま『ユメタン』のテスト日にあ
たって、ある意味ラッキーやったかもしれません。

「こうやって単語の試験をされているのですね」という先生方の言葉がありま
したが、きっと単語の指導に対して問題意識を持っておられ、単語テストのや
り方についてぜひ聞いてやろうと思われていた証ではないかと思うのです。

授業を見学する前ってのは、やはり自分の問題意識を明確にしておくことが
重要です。自分はこの先生の何を見ようとするのか、何を盗もうとするのか。

それがなくてただ単にオブザーブしているだけでは、いくら見学をしてもあまり
意義がないのではないかなと思っております。

明日来られる鹿児島の先生は極めて熱心な先生なので、こちらも気合いを
入れて(笑)、否、いつも気合いを入れて授業してるけど、いつも以上に気合
いを入れて、生徒たちに向かいます。

 

(追記)北海道の学校で高1と高2の二学年の生徒全員に『ユメタン』を
     配布されたとお聞きし、感激しております。頑張ってくださいね!

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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まだまだこれから

Posted on: 2010年1月9日(土) 11:06

東大英語リスニングBASIC

ご好評頂いている新春プレゼントですが、 やはり『ユメタン』と『東大
英語リスニングBASIC』の希望者が多いという報告を受けています。

締切は15日になっております。よろしくね。

昨日の夜に西南学院中高の田中先生と電話で話してたんやけれど、
人間というのはおもろいもんで、なんか上手く事が運んでる人を見て
自分もガンバろという人と「あんなん大したことない」という人がいる。

当然ながら、前者はどんどん伸びるし、後者はその「大したことない」
人よりもさらに大したことないわけで、前者でありたいと願っとります。

英語の他の先生方もあちこちでセミナーをやられているし、そういう
セミナーにどんどん参加して、自分の方法を膨らませたい。

どんなセミナーにでも自分の血肉にすべきものがあるはずや。

長渕剛の歌で「1つの山を越えたら、そこから下を見下ろす人がいる。
向こうにそびえる遥か高い山を忘れて、今の自分に酔う人もいる」と
いう歌詞の歌があります。

今の自分に満足していて、他の人たちを見下ろすようではダメです。
まだまだ自分なんて大したことないと、努力し続けないと。

今年は昨年以上に考えて考えて、授業の方法を構築し、それを他の
先生方に伝える一年にしたいと考えています。

ジュンク堂さん

僕もこうすれば英語の成績は上がるという、自信めいたものがある。
それを全国の英語の学習者や指導者、保護者の方々に伝えたい。

だからと言ってそれを僕が絶対視して、研究を怠ってしまうと良くない
と思うんですね。

例えば英語Ⅰや英語Ⅱの教科書がありますよね。あれを使ってどう
効果的に授業をすれば、生徒の力は伸びるんでしょうか。

あるいは教科書の指導用CDがありますが、あれをどう使うべきなの
でしょうか。まさか生徒たちが読む時に流すだけで力が付くわけがあ
りません。あれにはあれで効果的な使い方があります。

教科書会社でさえも、それをうまく伝えきれていないのではないかと。

あるいは文法の授業ってつまらないって言いますよね。でもそもそも
文法の授業ってもっとアクティブで笑いの絶えない授業なはずですし
新しい知識を身につけることは、人間にとって楽しいことなはずです。

つまらないわけがない。

だったらそういう授業をどのように展開するのか。あるいはそこから
英作文の力を伸ばすためにはどうするのか。英作文の授業だって、
単に楽しいだけじゃなく、どんどん力を伸ばすことができます。

楽しいだけ、アクティブなだけではだめです。力を付けてやらないと。

sayings

でも特に若い先生はわからないことが多いし、若くなくてもみんな多
忙だし、年齢がいくと疲れるし、新しい勉強をせず、昔の方法にしが
みつくことだって多いのです。

もちろん昔の方法だって良いところは取り入れればいいのです。

でももっと良い方法があるんじゃないかと模索し続けることって大事
です。ビジネスの世界では当たり前のことなんですが、教授法という
点でいえば、教え方も教材の使い方も、僕らが受験生だった頃から
あまり変わっていないんじゃないかと。

教える側が心を開いて、新しいことを受け入れ、今の自分を越えよう
と努力する姿勢を見せるから、生徒たちも刺激を受けて、自分たちも
頑張ろうと思えるのではないでしょうかね。

他の先生の悪口を言うのが上手いだけ、自分の自慢を話すのが上
手いだけという教員になってしまっては、害悪以外の何物でもない。

生徒たちにもっと本を読めというのなら、自分がまずは本を読まない
といけないのは言うまでもありません。

生徒たちに夢を持てというのなら、自分が夢を生徒たちに語らないと
いけないはずです。

うちの生徒たちはリスニングができないというなら、自分がリスニング
の神様になって、その体得方法を伝えるから、説得力が増す。

うちの生徒たちは英作文ができないと愚痴る前に、教員の側が英作
文の達人になって、その域に達した道筋を生徒たちに伝えることで、
教員の言葉にオーラが生まれるのです。

そう言っている僕はどうなんやろうと考えた時に、うちの生徒たちには
申し訳ないけど、まだまだ甘い。

もっと勉強しないとあかんし、もっと一般教養を身につけないとあかん
し、もっと話術を磨く必要があるし、もっとやることがある。

それを勉強し続けている限り、僕は大丈夫なんじゃないかなと思うし
逆に言えば、「自分はこれで大丈夫」と思ってフットワークが重くなり、
勉強にも研修にも出かけていかなくなったら、僕はダメになるなと。

昨日、田中先生と話しながら、そういうことを考えておりました。

未熟な自分をもっと磨こうと思っています。いつまでも「まだまだ俺は
未熟やな」と思い続ける自分でいたいと思っています。

 
 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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日々の積み重ねこそ

Posted on: 2009年11月6日(金) 8:55

紅白戦の風景
(中3対中2の紅白戦の風景)

いつも野球の試合や練習の風景の写真を使っていますが、これはすべて
先週の保護者の方が撮って下さるものを譲っていただいているのです。

去年は西川さんが撮って下さり、今年は玉村さんが撮って下さっています。

いつもありがとうございます。 

さて夜行バスのほとんど完徹状態から授業と面談をし、12時間寝た後に
公式戦(灘区東灘区大会)の1回戦が行われました。

私はふらふら。

なのに会場は灘でした。

会場責任者+監督+審判と、1人3役をこなさねばならなかったのです
が、部長の前川先生の助けもあり、なんとか乗り切りました。

さて、夏の公式戦では1勝もできずに涙を飲んだ灘中野球部でしたけれど
それ以来は基本的な練習、特に素振りを重視して取り組んできました。

守備についてはだいたい(まぁ、だいたいではいかんのですが)OKなので
問題は打撃なのです。それとバントね。

なのでバントの小テストなどを行いながら、練習してきました。

素振りは1日300スイングしようということで、生徒たちに課してきました。

結果、9-5で公式戦初勝利!をおさめることができました。よかった・・・

7-0までいったときはこのままコールド勝ちかなと思ったのですが、相手
の中学は市大会まで駒を進めた強豪なので、粘る粘る。

一時は7-5まで迫られましたが、最終回に2点を取って突き放しました。

よく打ちました。相手の監督さんも客席で観戦していた次に当たる魚崎中
の監督さんも「よぉ打ちますねぇ」と。

確かにスイングがかなり速くなった。

素振りを繰り返しただけなんですが、大事ですね、基本的な練習って。

速いのを打つために速いボールで練習するってのもいいんでしょうけれど
でもまずは遅いボールが打てないと速いのは打てないと言われます。

勉強もそうです。

速い英語を聞こうと思ったら、まずは遅いスピードのをいかに数こなすか
というのが大事なんですよね。

そこでどれだけディクテーションや音読を反復するかです。

基本練習を大事にしたおかげで勝てました。選手たちも基本的な練習の
繰り返しがいかに大事かわかってくれたのではないかと思います。

1番打者から4番打者までがクリーンヒットを続けることができ、守備陣も
ほとんどエラーがありませんでした。

逆に7-0から7-5にされるきっかけになったのは、やはり四球とエラー
でした。ミスをすると、次は精神力が強くないとつけこまれますね。

いろいろと勉強になった一戦でした。

プロ野球のほうでは星稜高校の卒業生である彼が海の向こうで大活躍。
ワールドシリーズのMVPを獲得しました。素晴らしいことです。

イチロー選手も松井選手も基本的な練習を大事にしていると聞きますが、
結局大きいことを成し遂げるためには、奇をてらうのではなく、当たり前の
ことがどれだけ当たり前にできるかが大事なんですね。

今日は保護者会の最終日です。成績の悪い生徒たちがどうして悪いのか
というと、日々の復習ができていないからの一言に尽きます。

直前の定期考査対策に失敗したからではない。

かく言う我々教員のほうは授業のクオリティを上げ続けないと駄目です。
現在の自分に満足することなく、日々の小さい努力を重ねることですね。

 

(追記)明日の2回戦に勝てば準決勝進出です。

 


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冷めた教員は要らん

Posted on: 2009年10月28日(水) 22:05

お言葉 

昨夜のことです。原稿が先週できていて、送信もしていたのに、届いていないと
編集者から連絡があったので、再送信。ITも万能じゃないな。

どうもパソコンというのは、我々原始人にとってはいつまで経っても、20世紀の
DOS以来、進化しているはずなのに進化していないモンスターなり。

さらに「去年はオヤジが死んだので、年賀状が出せなかったが、今年は大丈夫
そうやな」と思い、パソコンの筆ぐるめっていうソフトを何故か立ち上げる。

\( ̄_ ̄)/

闘うこと数時間。

使い方がわからず放り出し、布団に入ったのが夜中の2時。

何をやっとんだ、何を!おかげで朝がしんどいじゃないか!

今年はお会いした先生方が非常に多いので、年賀状は500枚を軽く超える。
早いうちから準備しとかないと、年賀状1枚1枚に短いコメントが書けない。

というわけで、筆ぐるめ、頑張ってクリアしますわ(RPGみたい)。

エッセイ

仁川学院の鈴木教頭先生から電話を頂戴する。鈴木先生とはもう10年来の
お付き合い。先生は教頭先生をしながらも、野球部の顧問もされている。

ちなみに仁川学院中の野球部とは何回か試合をしたけど、強い強い。

なぜ強いかというと、一生懸命だからです。当たり前やけど、打者はピッチャー
フライでアウトになった後も1塁ベースまで全力で走り続ける。

だから強い。

否、夏の時点では大したことない学年でも、秋には強くなるのです。

鈴木教頭先生としばし談笑。

なんと新人の5人の先生方に、僕の『頑張ってるから悩むねん』をプレゼントし
たいので、ついてはサインを頂けないかと丁重なお願いをされる。

なんですと!?

私の著書、しかもある意味専門外のエッセイ集を新人の先生に配布する?

自分の耳を疑ったけど、すでに近くの書店さんに言って5冊取り寄せてくださり、
さらにさらに私が学校から帰った後に、灘まで足を運んでくださったとのこと。

先生がいらっしゃらなかったので、警備員さんに預けておきましたとのこと!

なんだか申し訳ないなぁ。わざわざ足を運んでくださったのに、学年主任と一緒
に学校を出た10分後のことやったそうな。本当に申し訳ない気分になった。

心を込めてサインをさせていただき、先ほど仁川学院さんに持っていきました。

新人に『7つの習慣』を配布するというのなら頷けるが、わたしのエッセイとは。
ありがたいやら照れくさいやら、複雑な気持ちでしたが、しかし感謝しております。

鈴木先生と2時間ほど談笑しましたが、とてもいい刺激を頂戴しました。

先生曰く「やはり熱いとかウザいとか言われても、何でも一生懸命にやるという
ことを、生徒たちに教えることが大事です」と。

「生徒に一生懸命にやれと言うのであれば、教員が一生懸命でなければ」と。

ホントにそうですね。冷めた教員は要らない。他人を批判する評論家など教育
においては不要だ。失敗してもいいから、一生懸命な先生が必要なのだ。

そういう想いを新たにして、帰路につきました。

鈴木先生、ありがとうございましたm(_ _)m いつも感謝しております。
それとエッセイ、ありがとうございました。新人の先生方によろしくお伝え下さい。

こういう素敵な先生方が身の回りにおられ、刺激を頂戴できる幸せを噛み締め
ながら、今から明日の授業の準備をします。

 

(追記)仁川学院中学の野球部は地区大会で準優勝されたとのこと。
     監督の本田先生、たまには練習試合してください。

 


kimutatsu

みんな、本を読もう!

Posted on: 2009年10月23日(金) 22:58

山田君

以前、山田君と飲みながら勉強論を戦わせていたときに、ぽそっと彼が「結局は
勉強って経済活動なんですね」と言ったのを聞いて、微妙に感動した木村です。

若いのに、よくわかっとる。

勉強も経済活動だという意味がわからん人に卑近な例を。

例えば最近あまり話題にならないけど、相変わらず水面下では苦しんでいる人
も多い「派遣切り」という問題やけど。

確かに突然切られた人はかなりショックやし、生活どないすんねんって気持ちに
なるのは言うまでもない。

しかし企業側の論理だって間違っているわけではない。

企業だって生き残っていかねばならない。

というわけで経費の中でもっとも大きいウエートを占める人件費を削減するのは
当然やと思うんです。

問題は・・・

もしあなたがその対象者のひとりであったとする。

隣にもうひとりの対象者がいる。東大卒。二人の仕事の能力はそれほど変わら
ないとしましょう。ここでいう「能力」は潜在能力のことではありませんぞ。

あなたは猛勉強をして、法律、経済、英語、フランス語、中国語などに強くなった
としましょう。寝る間も惜しんで、一所懸命に勉強をしたとします。

企業サイドに立ってみたらわかると思うけど、あなたは切られません。

切られないどころか、もっと給料の高い会社から引き抜きがあるかもしれない。

勉強そのものが一種の経済活動になるということです。

45歳の僕が勉強するのはすでに経済活動ではなく、例えば読書やヒアリング・
マラソンそのものへの純粋な興味になってる。

でも万が一、灘が倒産してしまったとしても、今なら英語を使って食べていける。

何も武器がない人は、これから大変やと思う。特に卒業大学の名前だけじゃあ、
とても食べていけない。自分はこれができるという武器を持たないとあかん。

その意味で読書ができない人はかなり不利やな。不利な理由は社会に出れば、
きっと理解できる。否、体感できると思う。

本を読もう。それが勉強の第一歩やと思う。経済活動の第一歩でもある。

今日のこの人のブログはいつにも増して熱いけど、とってもいいことを、そして、
大人が子どもに対して、あるいは自身に対して、言い続けねばならない真理を、
書いてくれてる。

大人が子どもに対して「もっと本を読みましょう」と言うのであれば、やはり自ら
すすんで本を手に取らねばならないし、本を買わねばならぬ。

 

(追記)最近、中国古典の本を買いました。かなりはまっております。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 教育全般  

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