KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

カテゴリー別アーカイブ: 人生論

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信念と努力と苦悩と

Posted on: 2011年5月24日(火) 20:56

 

 

 

 

 

 

この看板は群馬で撮影したんやけど、駐車場のこのオモロイ看板を見て爆笑。
じゃあ帰りに土産を買おうぜって言ったら、おばちゃんが「それが潰れました」と。

:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

倒産というのは悲しい響きだ。そして人があまり来ない場所の土産店は哀しい。
だって買いたいなと思うものが少ないのだ。そして土産店といえばほとんど決ま
って絵葉書しか買わない僕はおそらく良い客ではない。

年間に1000枚を超える数の御礼葉書きを書く僕にとって、その土地の絵葉書
を買うのが楽しみでならないのだ。手元にはたくさんの絵葉書がある。

絵葉書っていうか、厳密には「絵」じゃないな。写真葉書きっていうのかなぁ。

先般も灘校の近くにあるコープの文具店に売ってる神戸の絵葉書をたくさん買っ
てきた。絵葉書って買うと書きたくなりません?

というわけでさっそく何人かに葉書きを書いた。

人と人とのつながりはめでたくもかしこく保たれていくというわけですな、こうして。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、ある先生からの「本物からは、信念と努力と苦悩が感じられる」というメー
ルを読んで、いたく心を動かされた。まさにまさに。

努力だけでもダメなんよね。アマからどう言われても「何を言うとるねん」と笑って
また歩き出すプロ(本物)には信念と、だからこその苦悩とがある。

最近僕などは良いこと続きで、セミナーは満員やし、生徒たちはよく付いてきてく
れるし、中間考査の出来は良いし、酒は美味いしネーチャンは綺麗だ、ふぁ!ふ
ぁ!ふぁっふぁー!(何のことかわからん人は両親に『帰ってきた酔っぱらい』って
なぁに?って聞きなさい)という状態なので、今こそ足元を見つめ直さねばならぬ。

本当にその仕事(授業)でいいのか、その生き方でいいのかということを立ち止ま
って考えては苦悩し、確認をした後は信念を持って歩き続けるということの繰り返
しなんよね。人からは安定してるように見えて、何度も立ち止まってチェックする。

単に努力するだけではなかなか本物にはなれぬ。ていうか、努力するぐらいは当
たり前だ。だって自分の人生なんやから。努力しないで夢や目標が叶うわけない。

問題は努力プラスアルファの部分なんやねぇ。

自分はまだまだ本物には遠いが、発展途上人として、これを肝に据えてまた歩い
ていこう。いい気になるのではなく、本物を目指してちゃんと生きよう。

というわけで、田中先生、いつも素敵なメールを送ってくだすってありがとう。

それから三重中学の生徒たちに「『ユメタン』頑張れ!」とお伝えください。手を抜く
んやないで!と。また授業見学に参ります。宜しくお願いいたします。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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前に立つ人間こそ努力が必要!

Posted on: 2011年5月8日(日) 23:27

 

 

 

 

 

 
群馬の吹割の滝を見に行った帰りに寄ったのですが、この団子が美味くてさ。
思わず「うまっ!」っていう声が出てしもたわ。それぐらい美味かった。

今から晩飯っていうときに。だから太るんやけどね。美味いものはしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
TK(チームキムタツ)関東支部が勉強会をしたのですが、40名もの先生方が
参加されたと。今日び、セミナーでもなかなか集まらないんやけどなぁ。

今週末は大阪でセミナー。140名の先生方がいらっしゃいます。

月末はTK関西支部が大阪で勉強会をすると。文法の授業について、或いは
国公立大の二次試験を使った授業実践と、中2生徒に検定教科書をつかった
授業実践を行うということなので、僕も行けたら行こうと思う。

大学の先生方や予備校の講師の方々もそれなりに勉強して、そして発表され
る機会をもっておられるが、実際に現場に立っている先生方こそが胸を張って
こうして発表されるというのは凄くいいことだ。

「教授」という肩書きも、「人気講師」という後光も、それこそ「有名校教員」とい
う後ろ盾もなにもない普通の先生方が発表されるからこそいいのだ。

かく言う僕も灘校の教員という肩書きが外れる日が来たとしても、それでもちゃ
んと話を聞いてもらえる実践と理論とを日々培わねばなるまい。

頑張るで。\( `ロ´)/

明日から授業。明日はGWに宿題に出していた啓林館の『リスニングボックス①』
のディクテーションを授業中にチェックする。やってきてなかったら廊下で立ってれ
ばよろし。ヤル気もないのに授業に参加したって意味がない。

 

 

 

 

 

 
よく「ヤル気はあるんですが、勉強が手につかなくて」という人がいるけれども、
残念ながらそういうのを「ヤル気がない」と言うのだ。

ヤル気がある人は勉強が手につくのだ。甘えるんじゃない。

ヤル気のある人ってのは、やることがたくさんあって、だからこそいっぱい時間が
必要で、なのに24時間しか時間がないから困り果てているのだ。

しかも人間ってのは残念ながら頑張れば頑張るほど乳酸がたまってきて疲れて
しまったり、どうしても眠くてたまらんこともあるので、困り果てるのだ。

ヤル気があるのに手に付かないなんて、あり得んのだよ。

TKのヤル気に満ち溢れていて、僕でさえも「こいつら、うざいぐらい熱いな」と思え
る若い20歳代や30歳代の先生方がどんどん前に出てきたらいいなと思う。

そしてそういう先生方に感化されたさらに若い高校生や中学生が、ヤル気をアップ
させて、自分の夢やミッションの完遂に向けて頑張れればいいなと願う。

そうすればきっとこの国はたまらなく魅力的な国になるやろう。今みたいな政治家
人材難国家なんて状態ではなくなるやろう。

ヤル気のある人間を育てるために、前に立つ人間こそがわかったような顔をして人
に語るくせに自分はフットワークが重い評論家になるのではなく、どんどん新しいこ
とを採用して、自分の成長につなげる努力を怠らないことだ。

かく言う僕も理論先行の評論家ではなく、希望と悩みを抱える現場人として、教育
に関わっていければいいなと思ってるし、そのために、僕自身が努力しなければな
らないのは言うまでもなかろ。

現場に立つ人間こそ、自分磨きの努力が必要。そして自分なりの理論を育てようと
する姿勢および勉強が大事なのだと信じているのです。

 


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子どもたちよ、手帳を持て

Posted on: 2011年4月21日(木) 2:12

 

 

 

 

 

 

(ジュンク堂書店梅田店さんです)

僕は生徒たちには大人になってほしいなと願ってる。彼らは時として斜に構え、
あたかも物事がわかったような顔をする子どもなので、僕らはそれに屈せずに
大人というのはこうでないと信頼を全面的に失うよということを教えねばならぬ。

その大きい要素として、手帳(メモ帳)の携帯がある。

大人みたいなビジネス手帳を持てとは言わないが、少なくとも大人はほぼ全員
手帳を持っていて、それをベースにして社会的生活を営んでいる。

先輩や上司が何か言ったら、それが酒席であっても目の前でメモを取るというの
は当然のことだし、それは相手に対して「聞いています」というしるしにもなる。

生徒たちもそういう手帳を持って、びっしりと計画を立てたり、授業や終礼で先生
が連絡したことを、こちらがなにも言わなくても書きとめる「大人」もすでにいる。

しかし「覚えればいいやないか」という姿勢でメモを取る習慣のない生徒も多い。
僕は大人がもしそういう姿勢であれば、人間としては信頼するに足る人物であっ
ても、社会人としては信頼できない。したがってメモを取らない生徒は信じない。

一生懸命に勉強しているのに伸びないという生徒がいるが、こちらはちゃんと勉
強の方法をほぼ毎日のように伝えているのだから、それをメモらねばならない。

実際に僕がリスニングの勉強法について授業中に語り始めるや、メモを取る生徒
がたくさんいる。逆にメモを取らずに「あぁそうですか」という顔で聞いてる生徒もい
るが、どちらの成績が伸びるかは言うまでもない。

黒板に書かれたことのみをきれいにノートに取っているだけでは伸びないのだよ。
大人になったら誰も黒板に大事なことは書いてくれんのだ。

生活面ではさらに顕著で、メモを取る生徒が仮に忘れ物をしてきたとしても、ミスだ
とみなすし、人間誰でもミスはするから、特に何とも思わない。

しかしそもそもメモを取らない生徒の場合、忘れるだろうなとこちらも思ってるので
口を酸っぱくして手帳を持てと言うことになるし、持たない生徒は子どもとみなす。

生徒手帳がある学校の場合は、それで代用できるんだろうけれども、小学校時代
には全員が持っていた「連絡帳」をいつから持たなくなってしまうんやろうね。

生徒たち、大人になりたければ、まずメモを取る習慣を付けることだ。大人の条件
にはいろいろあるが、そこがない人間は社会人としては残念ながら子どもなのだ。

手帳の取り方は自分で工夫すればいいが、帰宅したらまずメモを見る。学校に着
いたらまず手帳を見る。何かある度に手帳を開く。そういう習慣を付けてほしいな。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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たまには休みましょう

Posted on: 2011年4月15日(金) 13:05

  

 

 

 

 

 

 

 

  
東日本大震災のために、心的被害に苦しんでいる方々も多いと存じます。
生きるってのはなかなか大変なことですね。

休めるときは休みましょう。

いっつも闘ってばかりいられません。闘いのときに備えて、心や体が疲れ
ているときは、思い切って休みましょう。

私は今日から広島に行ってきます。広島女学院高の友達の授業を見せて
もらってきます。自分の生徒たちへの授業に生かすべく。

明日は広島女学院高で地元の先生方にセミナーをさせていただきますが、
友人の田澤先生によると70名弱の方々が集まられているそうな。

楽しみじゃ♪

日曜日の朝一番に帰ってきて、そのまま練習試合です。わたしは元気。

わたしが元気なのは、人知れず眠っていることと、風呂の時間が異常に長い
ことがその理由だと思っています。思い切って休みましょうね。

 
(追記)酒井社長、いい写真をありがとうございました。

 

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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人を遺す

Posted on: 2011年4月14日(木) 0:27

 

 

 

 

 

 

 

 

前にも書きましたが、『蛍雪時代』5月号でゴロゴ板野さんと対談してるんです。
で、蛍雪の編集をしてくださっている笹原さんから板野さんとの2ショット写真が
額に入れて送られてきました。

ふうかちゃん、ありがとう!

去年は安河内さんと対談しまして、その縁でいまだに彼とは連絡を取り合って
います。その関係で吉野先生とも親しくさせていただいてる。

安河内哲ちゃんにはチームキムタツの飲み会にも来ていただいた。

こうして人と人とのつながりは大きくなっていくのだ。それが何より。

この年齢になると残された時間を考え、この時計が動いている間に何ができ、
何を遺せるかを考えるものです。

売名行為という言葉があるが、名前を遺してもあまり意味がない。言うまでも
ないことだが、カネなんてのは生きてる間に使いきるに限る。

遺すとすれば、自分が生きていた証というか、魂を、何らかの形で遺すことだ。

僕の場合は幸いにして、時計が止まった後も本に込めた僕の魂がこの世に留
まり、なんらかの役割を果たしてくれるだろう。

しかしそれだけではなく、もしかしたらチームキムタツという名前は消えるかもし
れないけど、でも僕が作ったコミュニティーは残り、教育に何らかの石を投げて
くれるだろうと確信しているのです。

さらには教え子たちが、僕の魂を受け継いでくれたら、それは嬉しいことだ。

そんなわけで、名やカネを遺すのではなく、魂を遺し、人を遺すという考えこそ
大切にして生きていこうと思う。今ある生に胡坐をかくことなく、精一杯生きよう。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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僕の日常的意識(常なる意識として)

Posted on: 2011年3月8日(火) 2:19

 

 

 

 

 

 

イライラしたりしますか?と聞かれて「あまり」と答え、悩んだりするのはどん
なときですか?と聞かれて「体重がうまく落ちない時とか」と答える私。

風みたいな人ですねと言われたり、お前は自然児かと言われたり。オイコラ、
人を北京原人みたいに言うな。

と言っても風みたいに爽やかな人って意味ではなかろ。私はそんなお洒落な
人間ではなく、むしろバタ臭い人間だ。

でさ、思うんやけど。

人間ってのは近いところを見てるとイライラしたり悩んだりするよね。上手くい
かなかったりして、どうしたらいいのかわからずに悩んだり。

で、私に関して言えば、あまり近くを見ていない。見ているのは一箇所だけ。
今際の際に満足できる人生でありたいと思う。

もちろん今際の際がいつ訪れるのかはわからない。明日かもしれへん。もし
かしたらあと40年ぐらい生きれるかもしれぬ。

わからないけど、人生のプロセスにおいて、自分の人生を豊かにすべく努力
できているなら、それはそれで良しとしようじゃないか。

他人の人生をどうのこうの言うことも不必要やし、他人の失敗を嘲笑うことも
不必要。大事なのは生きてるうちの自分の達成度のみだ。

自分をできる限り高めてから旅立ちたいのです。どうせ死んだら、カネなんて
持っていけないし、名声があっても死んだら自慢できん。

だけど死ぬ直前、まさに今際の際になって「あぁ、やり残した」とは思いたくな
いのです。最期ぐらいは自分を褒めながら旅立ちたいな。

意識が遠くなっていくまさにその時、「やったぜ」と思いながら逝きたい。

他人の評価は全く気にならなくなった。むしろ自分の評価こそ大事にしたい。
ただし独善的にはなりたくないから、これまで以上に人の意見に耳を傾ける。

生き急ぐこと勿れ。生き急ぐこと勿れ。今日失敗したなら明日やればよろし。
明日失敗しないように頑張ればよろし。連敗しないように。

失敗したからとて、刹那的感情の赴くままに行動してはならない。今日のミ
スは長い長い人生の中では、小さなかすり傷にもならないのです。

明日同じミスをしないように、明日こそダラダラしないように、前を向いて歩こ
うとする意識を持つこと、否、実際に歩いてみることが大事なのです。

そうすれば必ずや今際の際に笑える。少なくともその近くまでは行けるはず。
あとは人生の目的や計画を着実に遂行することです。

大局的に人生を見よう。ゆめゆめ生き急ぐこと勿れ。我々は確実に死ぬのだ。
だとすれば、笑って死ねる人生を構築することが、生に対する義務なのです。

ま、そういうことです。Y君、わかったかね。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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君子必慎其独也

Posted on: 2011年2月23日(水) 18:00

 

 

 

 

 

 

私なんかは生徒たちが可愛いので、甘やかすのではなく鍛えてやろうとして
都会の坊ちゃんたちには少々厳しいかなと思うことも言うのですね。

奈良の田舎で育った私は、授業中にシンナーを吸っている級友(この場合の
級友は、けして友達という意味ではなく、話しはしないがまぁまぁクラスメート
という程度の付き合い)の姿に慣れていたので、神戸に来てから「おぉ!なん
と上品な生徒たちなんだろ」とびっくりしたものです。

これは決して灘の生徒たちに限ったことではなく、総じて都会の進学校の生徒
たちというのは、概ね上品なお子たちが多いような気がします。

この場合の上品というのは、生真面目という意味ではない。言いたいことは
きっぱりと言うが、相手を見て「こりゃ言えんな」と思ったら引く。その引く際の
判断がスマート兼クレバーなのである。

逆に「こいつは言える」と思ったら、攻める、いじる、変にいらう。攻め、良ぉし!
いじるのもいらうのも良ぉし!楽しんで学生生活を送りたまえ。

言うまでもなく双方ともに楽しんでいる場合はまったく問題ない。問題はやな、
片方が強くて片方が劇的に弱い場合であろう。

その場合は「嫌がってるのに続けた」ことがあれば、場合によってはイジメ認
定となり、指導することになる。弱い奴をいじめる奴は許さん。
 

 

 

 

 

 

 

ところがあまり度が過ぎると最近ではすぐにイジメ認定されてしまうことまで
彼らは知っているものだから、ネットを利用することになったりする。

ネットは匿名で書けるので、陰に隠れている気持ちになるのであろうな。

ところが書き込んだ相手が大幅に傷ついた場合、例えば私が名指しの批判を
見て大いに傷つき、仕事に出ていけないような事態になった場合、当然のこと
ながら、それを書いた人は「陰に隠れて」いられなくなる。

私の場合、自分の弁護士に連絡を取り、サイトの名前とURLを伝えたうえで
然るべき措置を断固としてとってもらうことになるだろう。

ところが子どもの場合、大人がちゃんとネットの使い方や、実は陰に隠れてい
るわけでもなんでもないんやでということを教えてやらないと、てっきり完全な
匿名だと思い込んで友達を傷つけ続けることになりかねん。

ネットってのは怖い。警察の方々と話す機会も多いのだが、新聞に登場して
いる以上に、軽い気持ちで書き込みをした結果、匿名が匿名ではなかったこ
とを知ることになった人たちがたくさんいらっしゃるとのこと。

子どもたちよ、否、大人も含め、ツマランことはやめよう。面と向かって言おう。
でないと何の解決にもならぬ。何も前進しない。

本来ネットは非常に便利なツールで、例えば英語でも無料でかなりのレベル
まで勉強することができるのです。

ところが上に書いた理由で、学校によってはネットを禁止しているところもある
と聞きます。非常に残念なことです。

人間ってのは悲しい。ひとりひとりはみな優しいのに、集団になったり陰に隠
れたりすると、急に獣になったりする。

戦うなら卑怯なことはしないで、顔と名前を出して戦おうよ。それならまったく
問題ない。それなら問題も解決に向かう可能性が高い。

わかり合えないことも多いけど、それでも結構わかり合えるもんよ。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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Enjoy Making Efforts!!!

Posted on: 2011年2月10日(木) 17:18

 

 

 

 

 

 

 

 

宮崎の先生に「木村先生は火山の噴火より熱い」と言われたのですが、いや
それが実はそうでもありませんのや。結構なんていうかそののんびりしてる。

テンションは高いように思われてるけど、実際はテンションの高低を場面場面
で使い分けてるし。テンションの低い自分も好きなんよね。

英語でmake effortsっていう表現があって、『ユメタン①』の最初にもそれを
使ってフレーズを作ってあるんですけどね。

ただその「努力!努力!」って言うても、大事なのは瞬間的に燃えることでは
ないんやないでしょうか。大事なんはそうやないよね。

確かに努力は大事ですけど、ほんだらどれぐらいの人間が思い切り毎日毎日
努力しまくってるんやろう?俺は努力しまくっとるで!な人って多いの?

逆に余裕を持って、ひとつひとつをこなすことを目標にして、人生謳歌するぐら
いのほうがなんやオモロイんちゃうかなぁと思ってるんです。

そら1個1個は結構頑張るんやけど。

 

 

 

 

 

 

 
例えば僕、本が好きで毎月15~20冊ぐらいは読みます。野球やってる上に
原稿も書いて、もちろん授業して講演して日本中飛び回って・・・

凄いですねと言われるんです。

でもみんなこの程度やってない?

それに観点を変えてみると、僕の努力ってホンマに努力って言えるのかなぁ。

ショッピングが好きな人、釣りが好きな人、寝るのが好きな人、ネットサーフィ
ンが好きな人など、それぞれ違ったものが好きですやん。

僕は本が好きなだけ。「疲れてるやろうから本は読まなくていいですよ」なんて
言われたら、もう何をしていいかわからんぐらい。鞄には本が常に数冊。

それに月に15冊ぐらい読む人なんていっぱいいらっしゃる。むしろ少ないぐらい
やないか。本当はもっと僕も読みたい。

野球は部活動やからね。たいがいの先生方が部活動の指導をしてはります。
だから「野球もやって凄い」っていうのは違うと思うなぁ。

授業は本業やし、生徒らの成績上げてナンボの職業なんやから、それぐらい
はやらないとあきません。それが仕事ってもんよ。

執筆は好きな仕事やし、講演やセミナーは人と触れ合えるから最高に好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
こうして見ていくと、つまるところ僕は努力しているっていうよりむしろ、上に書
いたようなことを日々楽しんでやってるだけですわなぁ。

あ、そうそうEJのインタビューを暗唱してるけど、それもかなり楽しんでやって
る。学校の空き時間はipodを耳に当てて、overwrappingしてる。

逆に眉間に皺を寄せて、「えらい頑張ってまんなぁ」的にする努力ってのはさ、
将来の自分をイメージしたり、成功したときの自分をビジュアライズしたり、要
するに、プラスイメージを持っておかないと続かない気がするんよね。

これが一番あかん。

努力で大事なのは瞬発力じゃない。

一番大事なのは、継続や。どんなしょうもないことでも継続したら力になるわ。
逆にどんなに凄いことやっても一発屋では役にも立たんわなぁ。

たとえば仕事が上手いこといってる奴ってのは、どこか楽しそうや。スポーツ
然り、楽器然り、勉強然り、恋愛然り。

この努力、なんやオモロないなと思ったら、工夫してオモロくしないとアカンよ。
継続しない努力は何の実も結ばんのやから。

そう考えてみると、工夫する力のある人は強いってことになるんやろうな。どう
やってオモロないもんをオモロくするかは、その人の発想力がモノを言う。

皆さん、「努力」を楽しみましょう!

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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強運の持ち主になる方法

Posted on: 2011年1月28日(金) 12:38

 

 

 

 

 

 

 

 

  
私立大学の受験がだいたい2月1日からスタートしますね。今さらナーバス
になったところで点数は上がらないので、気楽に参りましょう。

ただし、うちの学年でもインフルエンザが流行り出しました。気を抜くと病気
になりやすい(し、太りやすい)ので、緊張感は大切に。

あとはひたすら「自分は運がいい、自分は運がいい」と念じ続けることです。

この世の中には運のいい人と悪い人がいるように思われていますが、それ
は違います。運がいいと思いこんでる人と悪いと思いこんでる人がいるのだ。

運がいいと思いこんでる人は、たとえば車の事故に遭っても死ななかったの
だから運がいいと思って喜び、運が悪いと思いこんでる人は凹む。

前者は何があっても運がいいのだから、言うまでもなく世界最強の運を持っ
ているということになるし、後者はよほどいいことが続かないと愚痴を言うの
だから、これまた言うまでもなく世界最弱の運の持ち主ということになろう。

私は子ども時代に喘息がひどく、高校2年のときに学校を60日欠席したが、
だけどそのお陰で今はどんなしんどいことがあってもナンテコトナイワイって
思えるようになって、「ゴキブリが死に絶えても木村さんは死ななさそう。」
なんて褒めて(褒めてるのか?)いただける。

人生の合言葉は「めっちゃツイてる!」でいい。

受験生のみんなに限らず、生活の全ての局面を「めっちゃツイてる」と捉えて
前向きに生きていくことこそ、強運の持ち主になる秘訣なのだ。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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失敗して恥をかいてこそ人生よ

Posted on: 2011年1月23日(日) 23:20

 

 

 

 

 

 

 

 

  
俳優の仲代達矢さんが「人生とは」とインタビュアーに尋ねられたときのこと。

ふと考えて「人生とは失敗し、そして恥をかいて、それを乗り越えることだ。」
と仰ったそうな。この言葉には凄みがある。

なぜかと言うと・・・この台詞、40歳代や50歳代なら言えるが、しかしもうす
ぐ80歳になる人が言うのは難しい。

この方、要するにいまでも新しいことに挑戦し、恥をかいて、それを乗り越え
ていらっしゃるんだということがわかる。

かくありたい。成長しようとして失敗し、恥をかく80歳でありたい。

言うは易く、行うは難し。安定を望むことなく、安心することなく、前へ進もう。

 

(追記)いろんなところにスティミュラスは転がっているものだ。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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