KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

日別アーカイブ: 2009年9月7日

kimutatsu

人生を語らず

Posted on: 2009年9月7日(月) 23:47

リスニングボックス

書店さんには並ばないんですが、学校採択品として啓林館から出すことになった
というか、すでに売りに出されている『リスニングボックス』という本ですねん。

授業の最初に10分でできるリスニング問題が22問。

それと30分かけてやる、要するにセンター試験の模試形式が2セット。

ところが僕は「授業の頭に10分だけリスニングをやっても伸びない」と言い続け
てきた教員なので、この手の問題集に批判的なのです。

がはは、毎日10分、センター形式の問題だけ解いてもリスニングはできるように
はならないよね。そんなんでできるようになったら奇跡的だ。

・・・なので全問題にディクテーションをつけた。

これなら生徒ひとりひとりにCDを配布して、自宅でディクテーションをやってくる
ようにという宿題を出すことができよう。授業で10分。自宅で30分ぐらいかな。

ディクテーションは30分じゃ済まないかもしれん。

というわけで、もしかしたら学校の先生が採用した場合、受験生の手元に届くか
もしれません。あ、それと全問題にリスニングに関するコラムも付けました。

さすがに書店売りのセンターリスニングの本はアルクさんから出してるので、あれ
以外には絶対に出さないけど、学校採択の本ならいいかなと思って作りました。

600円という信じられないぐらい安い本ですが、中身はまずまずではないかなと
勝手に思っております。よければ採択の際に、選択肢に入れてみてください。

MY BOOKS

内田樹先生が、来年度は大学(神戸女学院大)の講義とクラブ指導以外は仕事
をしないと仰ってる。来年いっぱいでご退官されるからということです。

僕の場合はまだまだやり残してることがあるので、そこまでの宣言はしません。

が、僕はもっと野球がやりたいのです。

と言いながら、今日もノックをやっているうちに脇腹に激痛が・・・痛くて息が・・・
イテテテ・・・ヤバイ・・・でもね、それでも楽しくてしょうがないのです。

ところが野球をやって帰ると、数えで46歳のオッサンはヘトヘトになってしまって
さらに紫外線で目がやられて、PCのモニターが見えないという状態になります。

抱えてる仕事量が半端じゃないので、焦ってるんやけど、それでも体が動かない
ので、致し方なく「できる仕事から順番につぶしていく」という方法でやってる。

幸いにして朝日ウイークリーの連載も落とさずに済んでるし、蛍雪時代のコラム
だってお陰さまで来年度も続けていけそうな感じになってる。ありがたい。

問題はだな・・・仕事を断る勇気やな。きっとそこだ。

『ユメタン』はおそらく遅くても12月には出せる。間違いない。それ以外にも実は
すでに動き出している本が10冊ほどある。これは全てなんとかしたい。

大学から講義をしてほしいという依頼もあって、やりたいが時間が到底ないなと
思いつつ、だけどやっぱりそりゃやってみたい。面白そうじゃない?

面白そうなことが目白押しで、でも最優先させたいのが野球の指導ってのはな、
ある意味まったく銭にはならんのだが、どうも生きてるうちに極めたいのだ。

灘中学校の野球部だから拘りたい。これが天理高校やPL学園ならば、もちろん
こだわるのはこだわるにしても、監督は僕じゃなくても大丈夫そうじゃない?

灘中学校の野球部って、4月当初のレベルの低さは半端ないよ。それを何とか
叩き上げて叩き上げて、神戸市で通用するレベルまで持っていく。

それが面白い。

今まで報徳学園や関西学院に勝って私学大会で優勝した経験なら3回してる!
でもなぁ、神戸市ではしてない。90校弱あって、最高がベスト8なんよね。

死ぬまでに優勝したい。そして県大会に進出したい。生きてるうちに。

試合前の風景

人間って面白いね。誰も自分が死ぬなんて考えてない。人生においては自分が
主人公なので、自分が死ぬと世界が終わる感じがする。

誰かが死んだというニュースは毎日どこかから入ってくる。事故で、病気で、ある
いは誰かが誰かに殺されたなんてニュースもたくさんある。

でも自分が死ぬという実感はなく生きてる。自分だけは別だという意識がどこか
にあるんじゃないかと思うぐらい、結構呑気に生きてる。

だけどもし自分が突然意識を失い、そのまま死を迎えるとしたら・・・

自分は世界の一部でしかないが、しかし自分が死ぬと世界そのものの認識が
できなくなり、したがって世界が終わる気さえするんよね。

でも自分が死んでも世界は何事もなかったかのように、今のまま存在し続ける。

とすればだ、やはり個人個人が生きてるうちに、自分のコダワリっていうのかな、
自分のやりたいことを全部やってから死んでやるぞ!という意気があっていい。

知らないうちに死んでいくなんてマッピラゴメンやしな。

死んだらどうなるんやろうって考えると怖くなるが、逆に考えると、誰でも確実に
死ぬんやから、せめて、生きてるうちに自分らしくちゃんとやるべきことをやって
これだけ頑張ったんやから、今から意識がなくなるが、良しとしよう・・・

なんて感じで死んでいきたいなと。

死にたくはないが、せめてな。

だから僕は誰かが誰かの悪口を言うてるのを聞くと、「この瞬間に死んだとしたら
この人は誰かの悪口を言いながら死んだことになる。最悪やなぁ」なんて思う。

僕は悪口を言わない。面と向かってなら言う。でも陰口は言わない。

それはやはり生そのものに対する畏怖の念が、おそらく他の人より強いからでは
ないかと、自分自身で分析しているのです。

いつ始まり、いつ終わるかもしれない生に対する畏怖。

要するに人生ってのは何なんだ? それさえも見えない恐怖心。

だからこそ自分の想いや夢に対してはあきらめず、まっすぐにガメツク生きたい。
だからこそ嘘がないように生きたい。わからないからこそ、まずは前に出る。

決してお金や世間的な価値に振り回されず、自分がやりたいことを優先して生き
ていきたい。他の人に迷惑をかけないように、でも自分に正直に生きたい。

だからね、野球に対しては、特に最近はやたら時間を割いてるのです。

それと自分のテーマにしてる、「もっと高く! もっと遠くへ!」という部分について
極めてみたい。イチローみたいに凄くはないけど、自分の守備範囲を広げたい。

そう考えるとね、一番無駄に思えるのが睡眠時間やな。で、そういう意識があると
健康状態を悪くしてしまうので、今日はそろそろ休むことにしよう。

人生を語るほどの年齢じゃない。今はまだ人生を語らず。とにかく前進しよう。

 

(追記)次の英語教師塾は11月28日、博多で開催することになりました。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 人生論  

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