ロッテが優勝しました。テレビで観戦していたのですが、5回の場面、あの
四球→死球→四球で2点を失ったところの配球はおかしかったような気が。
特に井口の死球の場面ですが、打者がストレートを2球空振りしてるのに、
決め球を内角のスライダーにするのは、そりゃいろいろ考えはあっただろう
けれども、ベストチョイスとは言えないんじゃないかと。
投手も捕手も、打たれたくないから厳しいギリギリのところに投げようとして
結果的に四球や死球を与えたりします。
プロとアマとでは違うのは当然ではあるけど、でもピンチのときにこそ、自分
のベストを尽くそうとすることのほうが大事だと思うんですよね。
あの場面、やたらと変化球が多かった。
結果論と言われれば結果論なのですが、魂を込めてストレートを投げ込んで
いたとしたらどうだったんでしょうね。
僕はよく選手たちに言うのです。
打たれてもええやん。命まで取られるわけやなし。100%のパフォーマンス
を尽くした結果打たれたのであれば、そりゃ相手が上やっただけのことや。
でも100%を尽くさずに打たれたら、それは悔いが残ります。
球児がラミレスに打たれたときも外の変化球を3つ続けた、その3球目をヒット
されました。試合後、ラミレスは「変化球でよかった」とコメントしました。
思ってる以上に、「魂を込めた1球」ってのは打たれないものです。
それは野球だけではなく、生きている中でのいろんな場面に応用できます。
毎日毎日、毎分毎分、毎秒毎秒「魂を込めた1球」を投げ続けることはちょっと
しんどいかもしれんし、投げてるうちに惰性になってくる。
しかし、ここという場面では絶対に逃げないで相対することは大事やと思うな。
人生の場面では、電話1本、メール1通、相手への謝罪が、「ここという場面」
になるケースがあったりします。
逃げたくなるような場面でも逃げないで、顔と名前を出して、堂々とした態度で、
あるいは誠心誠意、相手に気持ちを伝えることが大事なのだと思っています。
それは西大和時代の上司から学んだことです。勇気がいる場面でこそ、その
人の真価が問われるのではないでしょうか。