KIMUTATSU BLOG
木村達哉のブログ「キムタツブログ」

日別アーカイブ: 2011年3月5日

kimutatsu

鹿児島は本当によかった

Posted on: 2011年3月5日(土) 16:17

 

 

 

 

 

 

書くのを忘れてたけど、鹿児島へ行ってきました。ベネッセ九州支社の企画
で鹿児島の先生方の前でお話をさせていただきました。

ありがとうございました。

特に私学の先生方対象ということもあり、西大和時代に偏差値40台の生徒
たちを教えていた頃の話もさせていただきました。

成績の悪い生徒の対策として、長文やら英作文やらの指導をする前の段階
をきちんとしないといくら勉強しても伸びないものは伸びないのですね。

英語ではなく日本史や世界史を例にとるとわかりやすい。

知識の部分を全く知らないで論述の対策問題集を買ってきても意味がない。
まずは覚えることを覚えないとダメです。覚えるためには反復することです。

英語の場合は音声CDがあるのとないのとでは、効果に大きい差が出ます。
それを使いながら、音声ごと知識を大きく伸ばしていくのです。

その土台ありきで、次のステップ、また次のステップに続くことになります。
多少手順を間違えても問題ないのですが、土台の段階で間違えてしまった
りすると、読めるけど聞けないとか書けないとかいうことになります。

というような話を鹿児島でさせていただきました。ベネッセの皆さんと参加
された先生方には感謝しております。

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

翌日、後くんの車に乗って知覧に行ってきました。『永遠のゼロ』を読んだ時
ぐらいから、知覧に行きたくてしょうがなかったのです。

戦争中、追い詰められた日本は、窮余の一策として特攻作戦を立て、知覧
飛行場は昭和20年3月に最前線特攻基地の1つに指定されたのです。

今も知覧には知覧特攻平和会館があり、特攻隊員として飛び立っていった
若い少年兵たちの遺書や遺影が展示されています。

高2や高3の生徒たちと同い年、あるいは大学生ぐらいの子どもたちが、極
めて短い飛行訓練の後に沖縄にいる米軍めがけて飛び立っていったのです。

富屋食堂の鳥浜トメさんのインタビューのビデオは涙なしでは見れなかった。
特攻隊員は志願兵とされていますが、もちろんそんなことはありません。

お母さんに向けた手紙が中でも一番多いのは、きっと男ってのはいつまで経
っても母親への想いが強いってことなのでしょうと、会館の語り部の男性がお
っしゃっていました。

*********************

母上お元気ですか。

永い間本当に有難うございました。

我六歳の時より育て下されし母。

継母とは言え世の此の種の女にある如き

不祥事は一度たりとてなく

慈しみ育て下されし母。

有難い母 尊い母。

俺は幸福だった。

遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺。

幾度か思い切って呼ばんとしたが

何と意志薄弱な俺だったろう。

母上お許し下さい。

さぞ淋しかったでしょう。

今こそ大声で呼ばして頂きます。

お母さん お母さん お母さんと。

*********************

 

 

 

 

 

 

(特攻隊員が寝泊りしていた三角兵舎です)

特攻隊の是非はよく論じられるけれども、少なくとも誰も幸せにはなってない
というのは事実ですし、彼らの多くは前途有望たる少年だったのです。

よく特攻隊員は志願兵だったと言われますが、「特攻隊員になることを熱望
する・希望する・希望しない」と書かれた紙が司令部から配布されたら、当時
の雰囲気で「希望しない」に○を付けることができた人が何人いたのでしょう。

ほとんどの人が周囲の顔色を窺いながら「熱望する」か「希望する」に○をつけ
たといいます。そうしてほとんどの人がアメリカの空母にたどり着く前に撃ち落
されて、命を失ったといいます。

館内に数多く展示された遺書や飛び立つ直前の写真を見ながら、こみ上げ
てくる涙を止めることはできませんでした。

まだ行ったことがないという若い人たちは是非行ってほしい。そして命につい
て、平和について、愛するということについて、考えてほしいなと思います。

そしてこうした人々の犠牲の上に、現在の平和があるということを認識し、今
の自分を、自分の命や生を、大事にしてほしいなと願っています。

鹿児島の皆さん、ありがとうございました。今回も有意義な旅になりました。
心から感謝申し上げます。

 


投稿者: kimutatsu  |  カテゴリー: 日記  

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