スピーキングの授業について尋ねられることが多いのですが、たとえば
セミナーなどでスピーキングをやろうとすると結構な手間になります。
オーディエンスに英文を与えて、ひたすら音読を繰り返して、さぁ英語を
話してくださいといって話すのは、初歩的なトレーニングにはなると思う
けれども、話している人は「自由に英語を話してる」感はないですよね。
スピーキングってのは、例えば広島に行って写真の場所で祈ってるとき、
外国人の方に原爆について、広島の街について、あるいはそこから派生
して福島について尋ねられたときに、自分の考えを自由に話せてこそ、
英語が話せたという感覚になるのではないでしょうかね。
音読そのものは大事ですし、クイックレスポンスのトレーニングは常に
意識してやらないとダメなのですが、音読やクイックレスポンスだけでは
英語を自由に使えるレベルにはなりません。
何か事が起こったときに、まずは自分の意見を持っておくことでしょうね。
消費税が10%になるかもしれない。
不況を極めてる現状で消費税を上げてどうするという意見があります。
でも自民党や政府の中には上げないとダメだという意見が多いそうです。
「へーそうなんだ」で終わらせていてはダメですよね。
自分の意見はどうなのかを考えておかないと、日本語で尋ねられたって
「別に」ってことになってしまって答えられない。
日本語が話せないのに英語が話せるわけありません。
日本語で自分の意見を持っておいて、それを英語ではどう表現するのか
ということを考える習慣を持っておかないと全くダメですね。
その点ではいくら4技能型の試験を導入しても、今のままだと英語を使え
る日本人はあまり増えないと僕は思っています。
歴史を学んだら、それについて自分の意見を持つ。
科学を学んだら、それについて自分の考えをまとめる。
そして自分の意見、考え、疑念などを英語で話せるようにトレーニングを
するということが大事なのです。
今日もブログにおいで頂き、ありがとうございました。
なんか寒くなってきましたね。風邪ひかないように気を付けましょう。