なんで俺たちはこんなにもマスクをかぶってしまうんやろうかという
話題で昨日はある人と盛り上がったのですが、変身願望ではない。
一種のサービス精神なんじゃないの?という結論に。
まぁとにかく呑み助には呑み助なりの美学があるわけで、マスクが
美学となるかどうかは議論の余地があるが、要するにそういった感じ
のものなのです。ここでマスクかぶらない?なんで?みたいな。
さて、今日も試合は負けました。ものすごく日焼けしました。
負けましたが、たぶん近々勝つでしょう。だいぶいい感じになってきて
例年よりも比較的出来はいいのではないかと思っています。
それとまたある人と授業について話をしていたのですが、授業ってのは
人そのものなので、だから僕の真似をしてもダメなものはダメです。
僕の真似をして上手くいってる人もいる。爆発的に成績が伸びている人
だっていらっしゃる。でもその先生もきっとご自分なりにカスタマイズして
るんやろうなと思ってる。
この先生が書かれていることはまさにそのとおりです。
例えば音読をして成功した先生がいらっしゃるとする。それなら自分も!
ということで取り入れてみたけど、上手くいかないとしましょう。
それは大概の場合、その先生には合ってないか、授業において何より
大切な「伝える力」が欠如しているか、何かそういう理由なのです。
いくらいい方法でも「自分には合わんな」と思いながらやっていたりとか
「どうやればいいのかな」と手探りでやっていたりすると、伸びません。
先般、今井先生と言っていたのですが、やはりやるべきこと(単語指導
とか文法の徹底)があってはじめて音読も有効になるのです。
音読することで、指導した単語と文法がさらに定着していくのです。
何もないところからいきなり音読したってだめです。
教員こそ思考停止に陥るのではなく、「どうして音読や暗唱をやらねば
ならないのか」「どのようにしてやるのが効果的なのか」「どうして単語
指導にCDが必要なのか」などについて、セミナーをきっかけにした上で
徹底的に自分で考えることが必要だと考えています。
(追記)今月末に1冊本が出ます。来月頭に1冊本が出ます。