5月13日。亡父の誕生日である。昭和12年生まれだから、生きていれば88歳だから、酒を飲みすぎたり煙草を吸ったりしなければまだ生きていてもおかしくはない。私が6000万円也の借金を背負ったのは父のせいだが、だからと言って恨んでいるわけではまったくない。むしろなかなかない経験をさせてもらったなと思っている。
父は私が母のお腹に宿ったというまさにその日に勤務する会社を辞めてきた。母から聞かされた会話である。
「いい知らせがあるねん。子どもができてん!」
「俺も言うことがあるねん。会社辞めたった!」
「え? どうするのん、お金要るのに!」
「いやまあ、なんとかなると思うねんけど」
「なるかいな!」
こんな父だったので母は苦労した。泣いている母を何度見たかわからん。日付が変わっても内職を続ける母の横で私は本を読んでいた。今から思えば、小学生時代から宵っ張りだったのだな。
父を恨んでいるかというとさにあらず。彼には彼の言い分もあろう。大阪環状線の中で煙草を吸う高校生たちに「俺でも我慢しているのになんでお前らは吸っとるのだ!」とどやしつける父親であった。母が先に亡くなってからはずいぶん気の弱い男になった。
今の私の年齢のときには、脳梗塞で右半身まひの障がい者となった。あまり社交的な人間ではなかったはずの父が、体が動かなくなってからPCを始めただの詩吟を始めただの言っては私を驚かせた。破産して借金が消え、ついでに体の自由もなくなってから、ついに彼は自由を手に入れたのかもしれない。
今日は父の誕生日である。母の2月6日にしてもそうだが、私が生きている間ぐらいは祝ってあげたい。おやじ、誕生日おめでとう!まだまだ迎えに来るなよ。俺のことなど忘れているかもしれんが。
木村達哉
追記
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