5月16日。昨日は復帰の日であった。沖縄が本土復帰したのが1972年。米軍基地は残ったが、それでも沖縄は植民地ではなく、本土になった。それでも沖縄のお年寄りはいまでも県外を本土と呼ぶのが悲しい。
熊本から沖縄に移動し、嘉数高台公園を散歩した(画像)。地球を模った展望台が新しく塗り直され、青空に映えていた。いつもこの時期の沖縄は湿度が高く、セミが鳴き始めるのだけれど、今年の沖縄は寒かったからか、まだ鳴き声が聞こえない。聞こえてくるのは人間の叫び声だけである。彼らが右なのか左なのかはわからない。
沖縄で、ある自民党の政治家と話したことがある。自民党は沖縄の米軍基地に賛成なのですかと尋ねた。とんでもないと仰る。僕だって沖縄の人間です。基地に賛成している県民はいないと信じていますと仰った。辺野古への移設が取りざたされていますが、普天間基地に反対なのですと。辺野古に移したあと、県外や国外への移設を考えるべきですと。
当然ながら、非自民党の政治家と話したときにも同じことを仰った。辺野古移設を許すべきではないと。辺野古に移設しないということであれば普天間基地はそのままお認めになるということですかと聞くと、普天間を辺野古を経ずに県外へと仰った。それは現状では難しいのではないかと思われたが、私は言わずにいた。
自民も非自民も基本は同じ思いを持っておられるように感じている。きっとどこかでボタンを掛け違えたのだろう。しかし、どこでどう掛け違えたのかを検証しないと、沖縄はいつまでも分断が続くだろう。子ども時代、ボタンを掛け違えたときに、その場所を一生懸命探したように。
5月15日は何の日かと生徒たちに尋ねたところ、クラスで一人しか答えられなかったとある高校の先生にうかがった。6月23日は沖縄の学校が休校になるから生徒たちも知っているのだけれど、5月15日は知らない若い人たちが増えている。風化なのか教育的敗北なのかはわからない。
先日、西田議員がひめゆり平和祈念資料館について残念な発言をした。憤っている沖縄県民が大多数ではないか。かく言う私も十年以上前から沖縄でボランティア活動をしている関係で、どの資料のことを仰っているのか、具体的な検証と分析をしてもらいたいと強く思っている。
ただ、県内の教育を充実させることはさらに重要だと感じる。5月15日が何の日かを知らない若者が増えている沖縄で、歴史教育は県民にこそ行われねばならないのではないか。実は今日、ある公的団体から教育講演の依頼を受けたが、そういう話もさせていただこうと思っている。
木村達哉
追記
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