6月24日。小説を書いているのだけれど、なかなかうまくいかない。この修業はもっと早くから始めるべきだったなと思っている。大学には通っているのだけれど、一向に褒めてもらえない。もっとこう書けばよかったのにと言われてばかりである。今日は褒めてもらっている他の学生たちを羨ましく横目で眺める日となった。
もっと上手く手取り足取り教えてくれんかと先生を恨むのは違う。それぐらい重々承知である。先生である小説家から褒めてもらっている他の人たちの作品だって、まったく大したことはない(吾輩の作品はさらに大したことないのだが)。そもそも当の先生だって、なにかしらの文学賞を受賞したわけではない。
要するに正解などない世界なのだ。
であれば、量がモノを言うはずである。やみくもに書くのではあまり得策とは言えないから、先生の教えはしっかりと脳に叩き込む。しかし、それにしたって、先生の言うことを聞いていれば作品の質が上がるかというと決してそうではなかろう。【継続>量>質】を忘れなければ、数年後にはそれなりのカタチになっていることだろうと思っている。
勤め人時代は出勤するのも面倒だなと思っていたが、今の仕事は出勤の必要がなく、起きてから寝るまで執筆も読書もすべて仕事のようなものだが、まったくもって楽しい。そりゃ上手く書けんときもある。吾輩の脳はネジが取れとるんじゃないかと思うときもある。そういう苦しさはあるが、ため息をついて仕事をするようなことは無い。
【継続>量>質】と書いたが、その点で継続はさほど難しいことではない。そもそも灘校を退職してから365日、毎日なにかしら書いている。書かなかった日はおそらくない。それはおそらくこれからもボケるまで継続することになろう。
変に上手さを追い求めることなく、愚直に量を書こう。いつか神様が、どこにおられるどういう神様なのかは知らんが、降臨してくださって、褒めてもらえる日が来るやもしれん。
それにしても褒めてもらえん。愚痴を書いても始まらんな。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。