6月27日。ここのところ金融づいている。昨日は投資の関係で日興証券へ行き、今日は事務所の税理士が拙宅にやってきた。投資に関してはメルマガにもたまに書いているが、灘校退職後に始めた。短期の株売買をするほどリスキーなことはしたくないので、もっぱらファンドラップと積立投資である。
税理士がやってくるとだいたいが税金を納める話である。いついつまでにこれを払ってくださいと振込用紙を渡される。税金と社会保険料は未来のために支払うのだろうけれど、それらのために倒産する企業や店舗はないのかと聞くと、あると言う。特に社保料はかなり高く、個人もそうだが、企業の首をぐいぐい絞めつける。
こんなのでいいのかなといつも思う。
思うが、そうではない人たちが大多数なので、結局は自民党公明党の政策が優先される。これだけの税金と社保料を払いたい人が大多数というのはおかしな国だが、それらの政党の支持者および投票に行かない人たちが大多数なのだからどうしようもない。吾輩個人が嘆いてもしょうがない。税理士に言われたとおりに粛々と税金を納め、社保料を支払うのみである。
吾輩、61歳だが、90歳ぐらいまで生きるとこの国の人口が約9000万人になるのを見ることができる。生まれたときの日本(1964年)が9710万人ということだから、そこに向かっているのであろう。ただ、そのときとは国のカタチが異なるので、過去に戻るだけじゃないかというわけにはいかない。
思うに、当時は今ほどお店などなかった。コンビニができたのは吾輩が大学の頃で、当時は買い物といえば少し離れたところにあるスーパーであった。加えて、ポン菓子屋や豆腐屋が町内を歩いていた。車に乗っているのは金持ちの証みたいなもので、当然ながら我が家にはなかった。
高度経済成長期、二階建ての家が増え、道路が舗装され、カラーテレビやクーラー(当時はエアコンという単語がなかった)が家に登場し、そして子どもの遊び場である広場が道路やマンションに変わった。渋滞など、それまでなかったものが町を覆うようになった。すべて、今となっては当たり前の光景が始まったのが吾輩の子ども時代である。
ここから日本は国を畳んでいく。政治家たちは自分の当選をなにより願い、庶民の生活を顧みなくなった。庶民は庶民でゆでガエルになり、そんな権力者を応援するようになった。えらくなってお金持ちになれるよう勉強しようというスローガンが学校から完全に消え、子どもたちは本を捨てて、その代わりに十万も十五万もするおもちゃを大切にする時代になった。
税金と社保料だけでなく、こう見るとさまざまなファクターがこの国を蝕んでいるように思う。幸せに生きるために必要なものは何なのだろう。幸せを手に入れるために、どういう行動をとらねばならないのだろう。時間に流され、時間にあぐらをかいて、なんとかなるだろと生きているうちにゆであがっていくようでは、せっかく生まれてきたのにもったいない話である。
木村達哉
追記
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