8月19日。この春から作家大学に通っているが、今日は初めて褒めてもらった。やれやれ。毎日なにかしらの小説を読んでいるし、先月は江國香織さんとお会いして朝方まで飲んで貴重なお話をうかがったし、そろそろ芽が出てもええんやないかと思っていたが、ようやくである。
とは言っても小さい芽である。踏んづけられたり雨が降ったりしたら千切れてしまうような芽である。これを太くしていくためには、信じられないぐらい多くの本を読み、信じられないぐらい多くの文章を書かないかん。YouTubeのサンドウィッチマンや中川家を視てケタケタ笑っとる場合やない。
小学生の頃、宿題があるのにランドセルをおろしたらすぐに小説を開いていた。遠藤周作、芥川龍之介、太宰治の作品を、ところどころの意味はわからなかったがページをめくり続けた。父も母も遅くならないと帰ってこない家だったのが幸いした。ぜん息の発作が出たら横にもなれないので、本を読んで気を紛らせた。
ほんまに大したことのない人生やが、その小学生と中学生のときにあれだけ本を読んでいなかったらと思うとぞっとする。父も母も高卒で貧乏やったが、せめて息子にはちゃんとした教育を受けさせたいと思ったのか、本だけはいくら買ってもええぞと言うてくれた。近くにあった疋田書店に歩いていき、店頭に並ぶ本を一冊とっては置き、また一冊とっては置きを繰り返した。帰ってレシートを見せたら嬉しそうにその代金をくれた。
ある日、新聞広告に「少年少女文学全集五十巻」なるものが掲載された。吾輩はそれがほしくてほしくてたまらんかった。誕生日やったかなにやったか忘れたが、父親にこれを買ってほしいとせがんだ。家が貧乏なのは子どもにもわかっていたから気が引けたが、それでもほしかった。
買ってやるが、本棚がないからまずはそれをと父が言い出し、スチール製のを買いに行った。五十巻ともなればこれぐらいは要るやろうと、二部屋しかない我が家には不釣り合いの本棚を買って帰った。組み立てるのも楽しかった。そのうち大きい段ボール箱が二つ届いた。御開帳の折には家族全員で吾輩の不器用な手つきを見守った。
第一巻は『十五少年漂流記』であった。その日のうちに読んでしもた。読み終わったら感想文を原稿用紙に認め、父に提出した。強制されない感想文は楽しいものだとわかった。
それが吾輩の原点ではないかと思う。
現代人は本を読まなくなった。小説を書きたいという人はそれなりに多いのに、そういう人でもあまり読んでいないのが驚きである。『雪国』や『氷点』は知っていても、読んだことがあるという人にはほとんどお会いしない。小説より即物的で面白いものがたくさんあるからしょうがない。しかし、吾輩は死ぬまで読み続けるやろうな。人生ってのはそういうものだ。しかし、蓼食う虫も好き好きという言葉があるが、小説が蓼と同じ扱いになる日が来るとは思わなんだ。
木村達哉
追記
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