8月28日。吾輩、灘校を57歳で退職して4年が経つ。なのに灘校はゴルフや飲み会があると誘ってくれる。温かい職場やな。改めて思う。そりゃどこにでもあるような、糞真面目すぎる人たちとそうでない人たちとのギスギスは多少あるにしても。
今日は暑気払いの会が芦屋であった。幹事の志音くんが来ませんかと声をかけてくれていた。この日はお世話になっている大垣書店の納涼会があったのでどうしようかと思ったのだけれど、先に誘ってくれたほうを優先した。つまり、灘校のに参加した。大垣書店には先約があるので申し訳ないと丁重にお断り申し上げた。
前校長先生や元教頭先生を含め、10人強の先生方や図書室司書が参加していた。人数の関係で2テーブルに分かれざるを得ず、話ができなかった人がおられるのは残念だけれど、それでも懐かしい面々と愉快な時間を過ごさせてもらった。相変わらず、ゆったりとした時間が流れている灘校を感じ取っていた。
こういう場合、灘校ではどうされていましたかと聞かれることも少なくはない。例えば行事や定期考査の日程、評価の方法など。灘校の場合、中1で持った担任団が、クラス担任は毎年変わるにしても、6年間ずっと持ち上がるというシステムである。学校の中に6つの学校があると言われている。したがって、試験の方法や評価の仕方などは学年によって異なる。「灘校では」と聞かれても、私がいた学年ではという答え方しかできん。
修学旅行の行き先も、最近は灘校らしくなく、毎年沖縄方面になっているのは残念だが、学年によって異なる。ハワイに行った学年もあれば、東京から函館までを新幹線と青函連絡船を使って縦断した学年もある。その学年が、というよりも生徒たちが、決めればいいのだ。
進学校はおおむね画一的だ。たいていの生徒は難関大を狙い、そのために似たような生活を強いられる。塾に通っていない生徒たち(上位層)もいるが、中から下位層はたいてい似たような塾に通う。学校全体が画一的である。しかし、その中でもなんとか他と違っていたいと抗う姿勢は持っていたいものではないか。それが人間というものだ。
灘校にはまだその気質が残っていると信じたい。特に教員が画一的になってしまうと、学校は一気につまらなくなる。灘校のいいところは、生徒たちが画一的であるのに抗うように職員室が魑魅魍魎ぞろいで多様な点である。教員まで画一的になってしまうと、きっとあまり面白くない学校になるんじゃないかな。そう思っている。
木村達哉
追記
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