9月9日。本来ならこの日に拙事務所の顧問税理士がきてくれる予定になっていたのだが、脳腫瘍が見つかって手術することになりましたと連絡があった。幸い悪性ではないらしいが、それでも十日ほど入院せんとあかんらしい。えらいこっちゃけど、悪性やなかったのやからゆっくりしときとLINEで返信した。
人間、なにがあるかわからんな。
母が入院したのはおそらく彼女が57歳の頃ではなかったか。胸が痛いとか背中が痛いとか言うので病院に連れていって検査をしてもらった。最初は通いだったのが、入院したほうがいいやろうということになった。精密検査の結果、肺にたまった水を抜かないといかんということになった。
母の胸に穴が開けられた。胸に差し込まれたチューブはベッドの下に置かれたどこにでもある青いポリバケツへと伸びていた。片肺にだけ水がたまっていく。抜いても抜いてもたまっていく。結局、彼女が62歳で死ぬまで、肺がんが原因であることは医者にもわからんかった。解剖してわかった。医者は気の毒なほど肩を落としていた。
伯父が死に、祖母が死に、母が死に、いとこが死に…親戚縁者が死ぬたびに、次は自分かもしれんなと思ってきた。先日の人間ドックでは脂肪肝以外の異常は見つからんかったのでまだ死なないように思うが、それもどうなるかわかったものではない。実際、いとこのひとりは釣りをしているときに海に落ちて死んだのやから。
日々、覚悟であるな。起きるたびにそう思っている。今日という日を大事にして生きる。いつ死んでも悔いはある。しかし、その悔いはできるだけ小さなものにしたいやないか。
税理士の手術はうまいこといったのやろう。そう簡単にくたばるようなやつではない。そして、自分もそのうち医者から宣告される日はきっとくる。そのときにどういう自分に逢えるのやろう。思いのほか冷静でいるのか、それともみっともなく泣き叫ぶのか、内面の嵐とは裏腹に外見は平静を装うのか。
今できることは、今日を大事に生きることである。それだけは間違いない。
木村達哉
追記
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