9月13日。福島から帰って日常が戻った。世間は三連休で、万博の混み具合も尋常ではないらしい。人ごみとか渋滞とかが蛇蝎のごとく、否、蛇蝎よりも嫌いな性質である。なにを好き好んで人のため息を観に行かなあかんのかと思っている。万博なら70年のでもうこりごりである。
64年生まれなので、70年の万博のときは小学生だったか。吹田の万博公園についたときにはすでに疲弊し、パビリオンの記憶などまったく残っていない。手元にある写真を見ると、わしも弟も母も疲れ果てている。この手のが嫌いなのは、おそらくこのときの経験によるものだろう。
さて、三連休とは言え、こちとら作家稼業である。自分で会社や店舗を興しておられる方々同様、休みなどない。365日が仕事である。パソコンを開いて原稿を打つ、書物を繙いて調べ物をする。他の人が書いた類書を開く。海外メディアの情報を読む。行ったことのない場所に行く。すべてが仕事である。
幸いにしてインドア派である。さらに言うなら、幸いにして文章を読むのは苦にならない。思うに、こういったことはすべて小学生時代に培われたものだ。そう思うと、小学生って大事やな。剣道や野球、鬼ごっこやかくれんぼなどをして阿呆みたいに遊んでいたのだけれど、それでも布団に寝転がって本を読む時間が好きやった。
いわゆる「勉強」は高2から始めたが、読む習慣が身についていたのは幸運というしかない。あのときもしもそれがなければ、おそらく悲惨極まる人生を送っていただろう。まともな大学生活を送ったり(悪友たちは、あんなのがまともなわけないやないかと言うかもしれんが)まともに通勤したりできたもの、小学生時代に身についた習慣のおかげやな。
今の子らは不幸やなと思う。スマホやゲーム機に考える時間を奪われ、車窓から未知の場所に思いを馳せる経験も奪われ、ただひたすらに手元の機械と対戦しとる。この子らはいったいどこに向かっているのやろうと思う。親が与えて本人も喜んでいるのであれば、他人がとやかく言うことではないのやけど。
そんな光景を見るに、日本を憂うというよりもむしろ、「ま、知ったこっちゃない」と独りごちることにしとる。が、せめて行った先々の学校や塾の子どもたちには、それなりに人生を考えてもらうための話をすることにしている。明日は大阪の塾で話をするが、保護者もたくさん来られるとのこと。じっくりと残りの人生を考えるきっかけにしてもらおう。
木村達哉
追記
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