9月17日。月末に妻と義母が万博に行きたいという。放っておくと入口までも行けないだろうと思い、意外と律儀でせっかちな性分のわしがばたばたと予約した。と書くと自分でさくさくやったように思えるだろうが、ほとんどすべて、人にやってもらった。
Facebookで万博に行くかもしれぬと書いたところ、予約しましたか、もうバスはないでしょ、入場も不可能でしょ、えらい人出ですよ、大丈夫ですか、などとさまざまなコメントを賜った。みんなが心配するほど、阿鼻叫喚地獄なのだろう。
大阪のH先生から、代わりに予約しましょうかと申し出があった。申し訳ないが、ほんま頼みますと返信した何十分後かに、大人3人の予約ができましたよと返事が届いた。予定していた17時以降に入れそうでほっとした。彼女は週末の三省堂セミナーにいらっしゃるとのことだから、お礼を申し述べねばならぬ。
子どもの頃から人ごみや渋滞が大嫌いである。万博のような一生の記念になるようなイベントであろうとスポーツの大会であろうと、人がたくさんいるという理由だけで不快以外のなにものでもない。静かに本を読んだり路上に座って行きかう人をぼけっと見ていたり、あるいは海ぞいや湖畔で景色を眺めているのが好きなのである。ほんまに喜ばせ甲斐のないガキやでとは亡き父の言葉である。
万博というと1970年に吹田で行われたやつに連れていってもらった。弟とお揃いの服を着せられ、母は一張羅で着飾り、クソが付くほど暑い中、あちこちを歩き回ったのを覚えている。おそらく月の石だのなんだのと盛り上がっていたのだろうけれど、なんにも覚えていない。万博はしんどい。そういう思い出と、不機嫌な顔で写っている写真とだけが残っている。
今回の売りは大屋根リングらしいが、70年のはなんといっても岡本太郎が製作した太陽の塔であった。名神高速道路を走ると今もちらっと見える猫背の白い塔である。最初は、なんでお腹に顔があるねん、変な顔やな、夜はちょっと怖いよななどと言っていたのだけれど、時間が経つと愛着がわき、撤去してほしくないなという気持ちになる。
今年の万博のリングはどうするのかな。できることなら、万博が開催されている舞洲に残しておいてほしいなと思う。リングを歩いた子どもたちが、愛する人と結婚してできた自分の子どもに、お父さん(お母さん)が子どもの頃、ここで万博があったんだよ、えらい人が多くてね、などと言えるようにしておいてほしい。
買って帰ったお土産なんかはすぐになくなってしまうものだ。画像だって、写真に現像したりHDに残したりしなければどこかに行ってしまう可能性が高い。しかし、創作物は幼い頃をたどる際の道標となるものなのである。
木村達哉
追記
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