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文学賞

2025.09.29(月) 09:00

9月29日。明日が締切である文学賞に応募した。送信ボタンを震えながら押した。本来ならば、読み込んで推敲して書き直してまた読み返して推敲して書き直してをぎりぎりのぎりぎりまで繰り返すところではある。が、実はもうひとつの文学賞にも出したいなと思っているのだ。

そちらも明日が締切。同じ日に二つの文学賞に出すなんてことができるのかしら。そこまで自分に能力があるのかどうかはわからない。が、最後まで粘ろうと思い、片方は今日送っておいた。Facebookをお読みの方はご存じだろうが、これでその作品については終わり、である。

最優秀作品や優秀作品に選ばれるかどうかは誰にもわからない。江國香織さんや他の小説家の方々に伺ったが、なんでこれが選ばれたのと思うことがあれば、なんでこれが落ちたのと思うこともあるとのことであった。中には「賞は運」とおっしゃる方もおられる。したがって、宝くじみたいなもんやなと割り切っている。文豪・太宰治先生でさえも芥川龍之介賞になかなか選ばれず、ついに川端康成先生に泣きついたのは有名なエピソードである。

運なのだとすれば、やることはひとつしかない。できるだけたくさんの本を読み、できるだけたくさんの作品を生み出すことである。それ以外に確率を高める方法はないではないか。大切なのがヒット数だとすれば、打率ではなく打数こそ重要で、いくら打率がよくても打数が少なければヒット数は少なくなる。

江國香織さんと7月末に朝まで飲んだ話は書いたとおり。彼女から言われたことで強烈に頭にこびりついているのは「できるだけたくさん読んでください」と「どんな文学賞でもいいので出してください」である。たくさんは読んでいるが、たくさんの文学賞に原稿を送ろうと思ったら、阿呆じゃないかと思われる程度に書かなあかんではないか。

アルクや三省堂から依頼されている原稿もあるので、頭の血管が欠陥だらけになるんじゃないかと思うぐらい思考がねじれてばかりいる。英語と日本語ではまったく表現が異なるし、教材に使う英語の文章と日本語で書く小説など、天地の開きどころか540°ぐらいの違いがある。

ある先生から、まったく違う二つをどう扱われるのか注目しています、と言われた。書いてみれば英語のほうが楽。どうしてもそっちに、つまり楽なほうに流れてしまう。しかし、教え子たちに、プロの作家として生きていきたいので灘校を辞めると告げた以上、中途半端なことはできんなと思う。六十一歳、まだまだこれから、である。

木村達哉

追記
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