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すぐ医者にかかる

2025.10.05(日) 11:00

10月5日。前からどうも右目がはれぼったいなと思っていたが、目のふちが少しぷっくりしている。今週から来週にかけて行方不明になるのに実にめんどくさい。しょうがない。もっとめんどくさいことになったらまずいので、眼科に行くことにしよう。医療アクセスの良さが日本の最もいいところ。利用しない手はない。

はじめて呼吸困難になったのは中学1年のときだった。学校の帰りに動けなくなった。どうして息苦しいのかわからず、膝に手をついて肩で息をしていた。そこに通りがかったのが白い軽トラック。運転席のドアをバンと開けて降りてきた浅黒い顔をしたおじさんが家まで送ってやるから乗れと言ってくれた。おかげで無事に帰れたが、23時頃にならないと母は帰ってこない家だったので、それまではひたすら耐えたのを覚えている。

幾度となく夜中に医院に運び込まれた。救急車とまではいかなかったが、呼吸が苦しくなると寝ている両親を起こした。ふた部屋しかない小さい家だったので、二段ベッドの上段から床に布団を敷いて寝ている両親に向かって弱弱しい声を発しただけだ。父の「なんとかならんか」を何度聞いたかわからない。

小さくても達者に生きろと名づけてくれた両親の思いは届かず、病気がちの子ども時代を過ごした。学校もよく欠席した。当時は不登校という三字熟語がなかったので助かった。学校に行きたいわけではなかったので、家にいて本を読みながらぜん息の呼吸困難と闘った。朝だったはずなのに気が付くと外は真っ暗なんてことも毎週一回はあった。

おかげで、というのもナンだが、医者に行くのには躊躇しない。風邪気味だなと思ったら葛根湯を飲むが、その「気味」が取れて完全に風邪だなと思ったら医者に行く。抗生物質やら熱さましやらをもらって、仕事などせずにひたすら寝る。熱があっても食える体質なので、よく食って寝る。まさにルパン三世である。

二十歳まで生きられるかな、と橿原市の医者に言われたことがある。当時はあと何年かしか生きられないのかと絶望的になったが、そのおかげで何かあるとすぐに医者に行く習慣が身についた。ちょっとしたことで医者なんておおげさなと思われる方々よりも長生きするんじゃないかとさえ思っている。我慢が美徳などとは片腹痛い。そんなわけで、遠慮なく明日の月曜日はいつもの眼科に行くとしよう。

木村達哉

追記
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