10月7日。昨日は静岡から帰ってからさくらの体調がいまひとつで、草を食べてはゲーを繰り返していた。5時間の助手席生活に疲れたのかもしれん。しょうがない。国勢調査には反映されないにしても、大切な家族の一員である。彼女が寝つくまで、家族みんなでのんびり過ごした。
のんびりと言っても勤め人ではないわしの場合、年がら年中いつものんびりしているようなものだ。元日からパソコンの前に座ってキーボードをかたかたと叩いている。平日も休日も同じことをやっている。疲れたら別のファイルを立ち上げて書き物を始める。仕事をしているようには見える。が、実際にはやりたいこと、否、やりたくてしょうがないことをやっているので、気持ちは「のんびり」である。
キーボード叩きに疲れたら、座椅子に座る。さくらが腿の上によっこらしょと上る。温かい。柔らかい。それだけで精神のカタルシスになる。スマホを見ることもあればウクレレを弾くこともある。リビングには何冊も本を置いてある。一冊を手に取り、開いて読み始めることもある。ふと気が付くと寝ていた自分に気づく。すべてが「のんびり」である。
子どもたちを見てきて思うのは、試験の結果とか宿題の提出とかいった短期的目標に追われ過ぎると良くないなということだ。それらも大切なことなのかもしれない。でも、大切なことを忘れ、人生を生き急いで最も効率的で最も速い道を行こうとすると、実は優雅に生きられずに息切れしてしまう。
約90年間の人生がある。わしの場合、あと30年ほどだ。煙草は吸わんし酒も大して飲まん。毎年数回は血液検査をするなどメディカルチェックは怠らん。事故でもない限り、その30年ほどが10年やそこらになることはなかろう。子どもたちにいたっては、残り80年ほどある。そこをどう幸せに生きるかを追求せんとあかん。30代なら残り60年、40代なら50年。けっこう長い。人生を俯瞰し、何が幸せなのかを考えることだ。
だらけていてはつまらない。自分がどこまで伸びるかのゲームを楽しむべきだと思う。かと言って、現役スポーツ選手のような人生では息切れする。短距離走者のようには生きられない。100キロマラソンの走者がたまに休憩したり歩いたりまた走り出したりするように生きることやな。
のんびりしていると焦る人がおられるらしい。そんなことはない。また走るときに走ればいいのである。ずっと止まったままだと成長はない。それじゃ体と脳は楽ちんやが、人生を愉しむことはできん。歩いたり止まったり走ったりしながら、残りの時間を充実させることや。今日は止まっていたが、おかげでいい日になった。
木村達哉
追記
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