10月18日。英語指導力向上セミナーのために熊本に来ている。今年二度目の熊本である。思えば中学の修学旅行は熊本だった。もしかしたら福岡にも行ったのかもしれないが、覚えているのは阿蘇山、水前寺公園、そして新幹線の中で居眠りしているクラスメイトの顔にいたずらをして先生からめちゃくちゃ叱られたことだけである。
当時の記憶があまりにもなくて、二年前だったか、妻に阿蘇に行きたいと伝えて旅行をした。たまたま野焼きの日で、枯草が燃え盛る阿蘇山。ここかしこで草をはむ牛たち。まっすぐに中岳にむかってのびるパノラマライン。米塚に草千里。いちいち車を停めてはまばたきもせずにじっと見ていた。
中学時代もこれを見たのかな。当時は米塚に入れた気がするな。いろんなことを考えているうちに道に迷った。こっちじゃないか、否、あっちだろうと言っているうちに、火がまわってきた。こちらには行けませんと係りの方から指示があり、ずいぶん遠回りをしてホテルまでたどり着いた。
それで思い出したのが愛知県のモンキーセンターと明治村である。こちらは小学生のときの修学旅行だった。箕面の滝にもサルはいるが、モンキーセンターは動物園の体であったように記憶している。明治村は明治時代の建築や街並みを再現した「村」だが、体験施設としてはかなり優れていた。土産物屋ばかりの「村」はたくさんあるが、明治村は言ってみれば村を再現した博物館であった。
今になって小学生や中学生の頃の修学旅行を思い出して、もう一度行ってみるというのも変な話だが、もしかしたら修学旅行というのはそういうものなのかもしれん。当時は友達ときゃーきゃー言いながら遊んだのが思い出になるもので、それが沖縄であれ広島であれどの場所であれ関係ないのだろうが、大人になると子ども時代を再現してみたいと思うものだ。
読書にも同じことが言える。小学生時代に読んだ『人間失格』や『羅生門』などを大人になってから再読したいと思うのは、おそらく当時はよくわかっていなかったからだろう。一度は読んだ経験をしても、実はわかっていなかったこと、わかっているふりをしていたことを今の自分ならどう読むか、どう理解したかを確認したいのだろうな。
そんなことを考えながら、熊本空港に降り立った。ゲートを出たところでアルク植元君が手を振っていた。市中心部に向かうレンタカーに荷物を積み込んだ。助手席にどすんと腰を下ろし、子ども時代の追体験をしたい場所や本はないかと考え始めた。植元君がなにか言っているが聞き逃した。彼のことだから、お昼ごはんをどうするかということだろう。
木村達哉
追記
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