10月29日。萩から帰り、今朝はさくらを迎えに獣医さんのところへ行ってきた。本来はさくらだって家族につき、一緒に萩に行きたいところではあったけれど、日本では人間と動物との共存ができていない。動物が泊まれないホテルがあまりにも多いので、さくらは留守番ということになる。
アメリカでもヨーロッパでも、そりゃ国にもよるのだろうけれど、どこにでも犬がいる。港には猫がいる。あちらこちらで草をはむ牛馬を車窓から楽しむことができる。雑草が生い茂ったところには鶏がいる。動物好きな我々夫婦はそれだけで心浮き立つ思いがする。レストランにもスーパーにもシャネルにも犬が平気な顔で入ってくる。
日本が嫌いなわけではないし、むしろいい国に生まれたなと思っている。3ドルも出せば美味しい牛丼にありつける国はここだけだろう。少し体調が悪いなと思ったら予約もなく医者にかかれるのも日本のいいところ。外国からの移住者が増えているが、そういった人たちにも日本の食、安全、医療アクセスを楽しんでもらえればと思う。


確かに日本はいい国である。それは否定しない。しかし、である。動物との共存という点に関して言えば、海外諸国に比べておそらく規制が厳しいのだろうなと思う。ペットと泊まれる宿は極端に少ないし、犬や猫以外の動物となると「触れ合う」という状況にはない。動物好きにはもう少しなんとかならんかという状況である。
思い起こすと子ども時代はよく道端に猫や犬が死んでいた。そこにカラスが群がっていた。狂犬病という病名も、それにかかったという人の報道を聞いたことはないが、今以上に聞いていた。社会が衛生的ではなかったのだろう。町には野良犬がうろついていた。それを拾って帰ってペットにしたこともある。
できることなら人間と動物がもっと共存できる社会に作り替えられればいいのだけれど、と願う。熊のような野生の猛獣が闊歩するのは危険だとしても、大人も子どもも小動物と触れ合えるような場所がもっとあれば、今のように人の心はぎすぎすせんのじゃないかとも思う。犬と泊まれる宿がもっと増えればとも。
育ったのが奈良県の橿原市。田舎を絵に描いたような場所だった。我が家では犬、文鳥、セキセイインコ、カブトムシ、クワガタ、カマキリ、バッタ、セミ、ミミズ、タガメ、ミズカマキリ、フナ、鯉、金魚、ニワトリ、ウナギなどを飼っていた。今から思えば、とってもいい時代にいい環境で育ったんだな。
おっさんたちは煙草をふかしながら悪ガキどもをどやしつけていた。おばはんたちはここかしこで井戸端会議をしていた。子どもたちは空き地で三角ベースボールをしていた。ゲームをしている子どもなど一人もおらず、どの家にもなにかしらの動物がいた。
木村達哉
追記
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