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林芙美子と書店の未来と

2023.05.07(日) 02:00

GWも終わり。明日から始まる学校や職場を思って多くの人たちが大きいため息をついたのか、今日は朝から雨風が強く、散歩にも行けない。こんな日は読書である。林芙美子の『浮雲』を開いた。

林芙美子といえば旅先作家である。文壇に登場したときは「貧乏を売りにする素人作家」と揶揄されたが、戦時中も国内外を移動し続け、刺激的な小説を書き続けた。特に戦後はジャーナリズムの求めるところに従って、あちらこちらの新聞や雑誌に連載を持っていた。47歳で急逝したときには、ジャーナリズムに殺されたと彼女の小説を愛する世間は憤った。

旅先作家といえば川端康成だが、林芙美子の葬儀で委員長を務めたのがその川端である。言論統制が終わった民主主義社会の訪れはつまり、自由に書ける時代の到来を意味した。人々は活字に飢えていた。そういった作家たちの新作を今か今かと待ちわびた。

芙美子の死から72年が経ち、人々は活字を読まなくなった。スマホの登場をその原因と言う向きもいるが、データを見ると決してそうではないことがわかる。「最近の子どもは本を読まない」と呼ばれていた子どもたちが大人になったのである。新聞も然り。人々が活字に飢えた時代とは隔世の感を禁じ得ない。

長い文章を読めずに動画へと興味が移り、その動画でさえも長いものは流行らなくて、超がつくほど短いものが人気なのだという。書店の数は減少の一途を辿り、20年前には21000軒ほどあったものが、昨年のデータでは11,000軒あまりである。自分は本を読んでいるほうだという人であっても、ほとんどがノンフィクションやハウツー本。

名作を読んで登場人物の追体験をするなんていう人は絶滅危惧種と化しているのは、それぞれの書店の文芸作品の売り上げが驚くほど落ちていることからわかる。政府まで古典や文芸は不要と言い始めたらしく、こうなっては作家こそ絶滅を危惧してもらわねばならない。

と、嘆いていてもしょうがない。時代と諦めるも良いだろうが、我々は読んでもらえる文章を書き続けるしかない。また、書店もamazonの躍進を嘆いてばかりいるのではなく、なにかしらの取り組みをしなければ書店には未来は無い。私が高校生の頃のように、入口を開けて待っているだけでは人は入ってこない。

木村達哉

追記
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