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教養~付箋と赤ペン

2023.09.10(日) 08:00

辞書や教科書に付箋を付けるのどう思いますかと人に尋ねられた。私は付けない。本を鞄に入れると外れる。そもそも邪魔。付箋を付けると力も付く、というわけではない。知らないことを知り、わからないことをわかるからこそ力は高くなるのだ。同じことはラインマーカーにも言える。

ただ、ラインマーカーのほうが(私の場合は赤ペンだけれども)脳に残りやすいように思う。本を読んでいて、ここは大事だなと思ったら赤ペンで囲む。優れた表現だなと思ったら赤ペンで線を引く。そしていったん読み終わってから、赤ペンの箇所だけ再読するという具合いに勉強を進める。

あくまでも私はそうしているというだけで、自分が付箋派ならそれでもいい。大事なのは相手に強制しないことだ。赤ペンにしても付箋にしても、自分には合っていると割り切ることが大事なのであって、たとえば教員が生徒に強制するのは大いなる間違いである。赤ペン派の教員が付箋派の生徒に強制しても成績は上がらない。

ノートにも当てはまる。ノートにびっしり書く派の人が教員になると、生徒にもそれを勧める。勧めるぐらいなら問題ないのだけれども、ノートにしっかり書いて提出を強制すると迷惑な教師が誕生することになる。ノートに書いたって成績は上がらない。加えて、ノートの書き方は人によって異なる。

ツマラナイ板書だなと思っている生徒にとっては、むしろ授業中に教師が言ったことだけを簡単にメモしているケースがある。教科書や参考書に書いてあることを教師が板書し、それを生徒がノートに書き写しているという場合、それならその教科書や参考書を直接ノートに写せばいいのだ。頭のいい生徒はそれがわかっているので、そういう板書はノートに写さないのである。

生徒サイドで大事なのは、自分が何派なのかを見つけることである。盲目的に教師に従っても成績は上がらない。自分の成績ぐらいは自分で上げるのだ。それはコーチの言っていることに100%したがっても試合に勝てないのと同じ。自分の特性を自分で認識する程度には自分で勉強して自分を俯瞰視することである。

私の話に戻ると、赤ペンで囲ったり線を引いたりした場所は専門のノートに書き写すことにしている。SNSなどに抜き書きしてもあまり意味がない(しかも、抜き書きが多いと著作権侵害になる)声を出しながらノートに書き写すのである。そうして抜き書きしたもののうち、ほんのひとかけらだけが脳に残る。それが教養となる。

木村達哉

追記
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