11月13日。灘校を57歳で退職して物書きになったと言うと、作家っていいですね!と目をきらきらさせながら仰る方が少なくない。そんな奇特な方のために今日の日記を書く。朋友のMr. Evineは何度も何度も頷きながら読んでくれるはずだ。中には自分も本を書きたいという方もおられるだろうが、およしなさいと言いたい。
最初はいいのだ。完成予想図は脳の中にある。台割だってじっくり考えて決めた。あとは脳内データを文章にするだけなのである。時間の許す限り、脳内の文章をパソコンのデータとしてアウトプットするだけ。最初はこんな感じでわくわくしている。著作が書店に並ぶ図を想像してはひとりでニタニタ笑う。
が、たかだか十ページも書くと、あれ?ここは文章を変えたほうがいいんじゃないか?という箇所が発生し始める。文章が独り歩きすることもある。考えていなかったことを勝手に手がタイプし始める。私はそれを神の降臨と呼んでいるが、そうすると脳内データは崩壊し始める。編集者の困った顔が浮かび始める。
途中で道に迷ったのだから、当然のことながら歩みは遅くなる。企画段階で考えていたこととは違う方向に行くのだから、逐一考え直さねばならなくなる。1文字書くのに何時間も考える。気の利いた文章が出てこなくなる。ついついSNSを立ち上げる。ついついYouTubeを立ち上げる。ああ!いかんいかん!予定が狂う!否、すでに狂っている!違う!狂っているのは俺のほうだ!
壊れる。
物書きには変人が多いと言われるが、書くたびに壊れているのだから当然じゃないか。わははは!作品で勝負しているのだ。人間が壊れていようが、歩いている途中に突然スキップし始めようが、飲んでいる途中に空を見上げてため息をつこうが、そんなこたあ関係ない。作品が良ければ全て良いのである。コンプライアンス?なんだそれは!俺たちには関係ない!
現在のところ、私は何冊かの執筆を抱えながら、メルマガで理性的なことを書き、ブログで比較的まともなことを書いては完全には壊れていないふりをしている。おそらく近所の奥様方などは私を見て、まさか壊れた人間だとは思っておられないだろう。パソコンの前で、うぉあぇええおあああぁあぁぉぃいお!などと突然叫んでいようとは。
なんでこんな苦しいことばかりやっとるんだと思う毎日である。妻とさくらがいなければ、とっくの昔に崩壊しているだろうな。脱稿予定日に赤く〇をつけたカレンダーをにらみながら日々執筆している。賢明な皆さん、あなたはこんなことには手を出されないほうがよろしい。私やMr. Evine側にいらっしゃらないほうがよろしい。
木村達哉
追記
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