出版社 | マガジンハウス |
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著者 | 糸井重里 小堀鷗一郎 |
人生の終わりの時間を自宅ですごす人びとのもとへ、通う医師がいます。その医療行為は「在宅医療」、「訪問診療」と呼ばれます。これまで400人以上の、自宅で死を迎えようとする人びとに寄り添った小堀鷗一郎先生と、ほぼ日代表の糸井重里氏の対談です。この本の中で語られる「死」とは、年をとって死んでゆく、いわゆる老衰です。
僕は死後の世界研究家を自称していますが、死後ではなく、死に至るまでの過程をどのように過ごしたいのかを改めて考えるよい機会となりました。祖母の死をきっかけに、アホのまま死ぬのは嫌やなと思って、そこから努力をしてきたつもりです。小堀先生の「人は生きてきたようにしか死ねません」ということばには、背筋が伸びました。
小堀先生がおっしゃるには、「在宅医療の世界では、患者さんが食べたり飲んだりしないから死ぬのではなく、死ぬべきときがきて、食べたり飲んだりする必要がなくなった、と理解するべきだ」とのことです。家族としては、入院させて点滴なり胃ろうなりの可能な処置をして、元気になってほしいと思いますよねぇ。しかし、食べたり飲んだりする必要がなくなった人からすると、無理やり飲まされたり食べさせられてしまうのは苦痛でしかないと。
僕にとって今、身近に考えなければならない「死」は、愛犬さくらのそれです。考えたくはないけれど、人間の何倍もの速さで年を取っていく犬の寿命は10年かそこらです。まだ彼女は5歳ですが、7歳くらいからシニア期に入り、命を脅かすような大病をしなければ、いずれはおばあちゃん犬になっていきます。長生きしてもらいたいと願っています。犬が自分はこんな風に死にたいなどと意思を示すことはできませんので、飼い主がどのように老後を過ごさせてやるかということを考えておくことは大切だと思っています。
小堀先生は「まずは誰もが老いることを理解して、いつかは死ぬことを受け入れる。どういう死が望ましいか、一回考えておくといい」とおっしゃっています。この本が自分や家族の最期の在り方を考えるきっかけを与えてくれます。「自分らしく、生きてきたように死ぬ」ということを、家族と共有しておきたいですね。
また、小堀先生と養老先生の共著、「死を受け入れること 生と死をめぐる対話」も併せて読んでいただきたい一冊です。