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はじめて書いた小説にしては

2025.06.04(水) 06:00

6月4日。初めて書いた小説をみんなの前で酷評されたのが昨日。せっかく一生懸命に書いたんやけどなあと思いながら、しかし悪いところをはっきりと悪いと言ってもらったほうがいい。褒めて育てられるのは優しい親の子どもだけでいい。こちとら褒められてばかりだと図に乗る。図に乗っていては成長すまい。

小説家の先生から「女子高生のお父さんの視点で書かれたわけですが」と言われたが、その女子高生がの視点ですとは言えなかった。作中に登場するおばあさんがスパイス効いていて面白いんだけど、この女子高生の性格がきつすぎて、おばあさんのスパイスが弱くなりますねとも。

意図するところを尋ねられたので答えたのだけれど、厳しく指摘されたあとではぐうの音も出ない。「はじめて書いた小説にしては」と最初に褒めてはもらったが、そこからはケチョンケチョンであった。ま、これが私のFirst Trialなのだからしょうがない。最初は何ごとも痛みを伴うのである。

小説家になりたいなと小学生の頃から思い続けてきた。そんなもので食っていけるのかと今なら親は心配するのだろうけれども、うちの親は子どもの夢を否定したり批判したりするような存在ではなかった。もっとも、他人を批判できるほど成功してはいなかったのだけれど。

遠藤周作先生に憧れた木村少年は三田文学を目指した。慶応のフランス文学科で学ぶのだと心に決め、肺病で苦しむところまで真似をしてやるぞと思っていた。ところが慶応にふられた。これで作家人生を送れないと思ったのが短絡的だった。大学がどこであっても小説など書ける。それを知らなかったし、周囲の大人たちも知らなかった。

英語の世界に来たことは悪くはなかったし、おかげさまで私の本を日本中の人たちが使ってくださっている。毎月、北は北海道から南は沖縄は上海まで、私の本を使っている生徒たちに講演にでかけてきた。これはこれで幸せな作家人生だなと思う。

しかしそれでも死ぬまでに、小学生時代から抱いてきた夢をかなえたく思い、安定を捨てた。一千万ほどの所得が消えることに不安はあったが、生活よりも人生をとった。

最初の小説は出来が悪かったのも、何年後かには笑い話にしてみせる。そう思いつつ、次の作品を今日書き始めた。次は「はじめて書いた小説にしては」が無い。

木村達哉

追記
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