11月18日。取材の依頼が入った。30代の終わり頃だったと思うが、テレビの「情熱大陸」からオファーをいただいた。何度かカメラが学校や出版社に入り、何本も収録をしたのだけれど、もろもろ考えてお断り申し上げた。プロ野球選手や俳優から自分を取り上げてくれと売り込みがある番組なんですよ、と説得された。
しかし、気持ちは変わらず、頭を下げた。何本も撮ってくださったのに申し訳ありません、と。
東京大学の学生とのやり取りや雑学の有無を扱うクイズ番組からも何度か依頼をいただいた。新聞や雑誌などの取材も多かった。が、基本的な灘校の英語科としての仕事以外は、つまり私個人を取り上げる番組や記事はすべてお断りした。授業と執筆のクオリティーが上がるまでは決していい気になるまいと思っていたのである。
「灘校の」という枕詞は便利である。それがあるだけで優れた教員だと考える人たちが多いからである。他校の教員であれば、テレビや雑誌は私を追いかけるだろうか、と考えた。「灘校の」が付いているうちは未熟なり、と考えていた。私淑する立花隆先生には「東大の」など付いておらんじゃないかと。

このたび、日本の五大全国紙のひとつから取材の依頼を賜った。執筆や教育ボランティア(NPO活動やチームキムタツ)などを取り上げていただけるのはありがたいなと思って受諾した。なにより、名前の前の枕詞が取れたことが大きい。
若い頃は尖っていたな、と今更ながら思う。「灘校の」に頼らずに生きていける力がほしいなと思う。そのためには努力するよりほかに方法などない。今村翔吾さんの記事を読んだが、40代の今村さんがこんなにも努力している。自分はまだまだやな、もっとインプットしないとな、と思うにいたった。
取材は来月。枕詞のない自分をさらしたい。
木村達哉
追記
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