11月19日。この人がいらっしゃらなければ現在の自分は無い、と断言できる方がいる。Sさんとしておく。初めてお会いしたときは(株)アルクにいらっしゃった。現在は(株)ウィザスで働いておられる。たまたま灘校に電話をしてこられた。たまたまその電話を英語科主任の私がとった。そこから物語は始まった。
当時のアルクは学習参考書とは無縁の企業だった。東大を志望する生徒たちのためにリスニング教材を作ってほしいとお願いした。しつこくしつこく申し上げているうちに、そんなに熱意があるなら自分で作ればいいじゃないかと仰った。大学入試の対策本を出すことに反対する同僚を説得したのもSさんだった。
そのSさんが定年退職で(株)ウィザスを去る。今日は同社の方々と一緒に会食をする機会を与えていただいた。奥様もどうぞと誘っていただき、妻と一緒にうどんすきで有名なお店に出かけていった。ウィザスは(株)SRJや第一ゼミナール、通信制高校などを傘下に持つ教育企業である。
私は英語顧問の肩書きを与えていただいていて、会長や社長、今日の会食にいらっしゃったKさんやHさんには常々お世話になっている。同社傘下の塾予備校で使っている単語集や問題集の執筆にも関わらせていただいた。そのウィザスにアルクを退社したSさんが入社したのもご縁であろう。

鍋をつつき、グラスを傾けながら、当時の話で盛り上がった。もともとインドやブラジルに行っておられたSさんは日本語教師の資格をこの数年で取得された。この先の人生では、海外の方々に日本語を教える仕事に就きますとのこと。英語ではなく、日本語で日本語を教えるのは難しい、とのことだった。
いつも勉強欲と刺激を与えてくださるSさんがいなくなるのは寂しいものだ。彼との出会いがなければ『東大英語リスニング』は生まれなかった。『ユメタン』も『ユメジュク』も、少なくともアルクからは出せなかっただろう。彼のご尽力に改めて感謝したい。キムタツブログも彼のアドバイスによるものである。
今までSさんから褒められたのはただ一度。頂いた印税で、英語の指導力や授業力を上げる勉強会を立ち上げたいと、参加者からも業者からもいっさいお金をいただかず、ボランティア活動として始めたいがどう思いますかと、神戸の赤ちょうちんで尋ねたときである。そういう言葉を聞きたかった、と背中をばんばん叩いていただいた。
B社のY君がチームキムタツと名づけたボランティア活動は今年で20年になる。勉強会では、参加者からもブースを出す後援企業からもお金をいただかず、年に数十万円のサーバー費用は自分で出して運営している。Sさんがいらっしゃらねばこんなにも長く続けられなかっただろう。
定年退職は単なる記号である。これからもお付き合いいただければ幸甚なり。彼が住む東京でたまに飲むのを楽しみにしておこう。来年もその次の年もずっと、彼の丸眼鏡を見る機会を意識的に増やそう。
木村達哉
追記
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