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水戸にて

2025.11.22(土) 09:00

11月22日。三日連続の講演は午後のスタートだった。午前中は水戸ウォーキングを楽しむことに決めた。やや肌寒いとはいっても好天。歩くにはパーフェクトディである。ストレッチをしたあと、三の丸から歩き始めた。

大手門をくぐりぬける。水戸光圀公が『大日本史』を編纂をし始めた旧彰考館跡が左手に見える。説明書きを熟読する。彰考館、江戸に置かれていたが、光圀公の隠居後は水戸城二の丸にも置かれ、幕末まで編纂事業が行われたことを知る。明治維新後も『大日本史』の編纂が継続されたのは言うまでもない。

水戸城跡の大シイを左に見上げ、杉山門をくぐる。右手は水戸第三高校、まっすぐ前は水戸第一高校である。第一高校の薬医門まで行くと決めて歩き始める。関係者以外立ち入り禁止と書かれていたので、薬医門の横でテニス部生徒が練習準備をしているのを見ていた。声をかけられた。

しばらくテニス部の人たちと話したあとは、来た道を歩き始める。大手門をくぐったら目の前には弘道館である。藩校としては日本最大の学校。正庁・至善堂・文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・孔子廟・馬場などが残っている。総合大学のような威容を示す弘道館に入らない手はない。

1657年に『大日本史』402巻の編集を始めた光圀公。編集を始めた彰考館の彰考とは「歴史をはっきりさせて、これからの人の歩む道を考える」という意味であると知った。弘道館にはその『大日本史』が展示されている。近世の日本人が高い教養を身につけるうえで最も大きく貢献したのが、全国各地に建てられた「学校」である。

始まりは足利学校。庶民のために創設された公立学校である閑谷学校。個人が経営する「咸宜園」などの私塾も日本全国に数多く作られ、当時の日本人は教養を身につけるべくおおいに学んだ。光圀公や学校の創始者たち、そして学んだ人たちはSNSに振り回される令和の我々を見てどう思うのかな。売店の方としばらく歴史談義を楽しんだ。

水戸でのセミナーを始めてもう十年近くなるが、こんなにもゆっくりと水戸を歩いたのは初めて。セミナー参加者から弘道館の梅は2月末から3月が見ごろとうかがった。その頃に再訪しようと決め、妻にLINEを送った。「私も行きます」という返事が届いた。

木村達哉

追記
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