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西大和学園から灘校に移った頃と言えば

2022.11.15(火) 05:00

今日は火曜日です。「キムタツ✕ひーぷーのオキナワ・ジモトーク」の放送日で、僕のライフストーリーをひーぷーさんに深掘りしていただきました。先週に引き続いて、今回は西大和学園から灘校に移ったあたりがスタートでしたね。

ちょうどその頃に父親が会社を倒産させて失踪するということがあり、僕が抱えている借金(小切手の裏書きをしていた分の借金、つまり連帯保証人としての借金)が6000万円ということがわかり、けっこう心が疲れていた頃だったのですね。

やりたいこともできないし、仕事は毎日きついし、そのうえ借金がそんなにもできてしまったし、残りの人生はあまりカネに執着せず、やりたいことをやって生きようと思いながら過ごしていました。したがって、西大和学園を退職しようと決めました。

灘校に移ったのはラッキーでした。灘校だから、というわけではありません。本を書こうが授業で何をしようが自由で、生徒の英語力を上げることと部活動の指導をすることをやっていれば何も問題ないという学校でしたからね。

34歳で灘校に移ったのですが、42歳で本を出しました。『人生の授業』に書いたとおり、先輩の「45歳ぐらいまでに大きい夢をかなえておかないと、もうその夢は腐る可能性が高い」と言われていたので、けっこう必死に本を書きました。出版されるかどうかわからない本を、です。

現在はウィザスの嵯峨さん(当時はアルクの編集長)に偶然お会いすることができ、僕の人生は劇的に変わりました。本を出すことができ、ブログを始めることになり、そしてセミナー行脚が始まりました。現在の僕を作ったプロデューサーは嵯峨さんです。

現在は灘校を退職しましたが、まだまだこれからだなぁという思いを抱いています。思い描いている理想の自分までの道のりはかなり遠く、だから引退だの隠居だのという言葉とは縁遠い人生を送っています。これからです。

ラジオを聴いてくださっている皆さんには感謝申し上げます。来週火曜日まではradikoで今日の分が聴けますので、まだ聴いていないんだよねという方はよろしくお願いいたします。

木村達哉拝

追記、
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