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3月11日、大人を大切に

2024.03.11(月) 12:20

3月11日。手元の手帳には「2011年東日本大震災発生、M9.0を記録。大津波で犠牲者約22,200名」と、そしてその後ろに「2020年WHO新型コロナウイルスでパンデミック宣言」と記されている。どうやらこの日は人間にとっての厄日のようだ。

地震にせよ病気にせよ、お亡くなりになった方々はよもや自分がその日にこの世から姿を消すとは思っていなかっただろう。2011年の場合は発生時刻が14時46分だから、昼食の数時間後にあの巨大な波が押し寄せてきて死ぬことになろうとは思っていなかったはずである。

志村さんにしても岡江さんにしても、そりゃそういうウイルスが蔓延しているのはご存じだったにしても、自分が犠牲になるとは思っていなかったはずである。その点で我々は、仮に健康な状態であっても、いつ何時どうなるかわかったものではないと、子どもの頃から思っている。

私などは飛行機に乗る機会が多いものだからANAから毎年ダイヤモンド会員だのプラチナ会員だのの特典を頂戴しているが、これが裏目に出る日が来るかもしれないなといつも思っている。敬愛なる向田邦子先生(ご本人は先生なんてとおっしゃるかもしれないが)や坂本九さんもまさかあんなことになるとは思わなかっただろう。

我々はそこらの蚊と一緒で、いつ手をパンと叩かれるかわかったものではない。その点で我々はいつ死んでもいいように生きるのが理想的である。老後のために我慢してばかりいたり、他人からの攻撃を耐えてばかりいると、そのまま死ぬことになるかもしれない。さすれば何の人生かと思う。

最近は「子どもを大切に」という風潮がある。間違いではないし、子どもは宝物だという意見には賛同する。が、ではいつから大人なのだろうか。いつから大切にはされず、我慢を強いられるのだろうか。電車の中で騒ぐ子どもを注意すると、子どものやっていることにと目くじらを立てられる風潮を見るに、どうして未熟な子どもを大人が注意してはならないんだろうと強く思う。

いつ死んでもいいように生きている大人はマイノリティではないか。みんな世知辛く、肩身の狭い思いをしながら生きるのである。ずるずるとみっともない音を立てながら生きるのである。なんだか自分は大したことないなと思いながら。

大人も宝物であると私は言いたい。子どもばかりが優遇されるようなマインドセットは間違いで、大人だって大切に思われながら笑顔で生き、そして笑顔で死なねばならないのではないか。ひとりひとりが大切な存在なのである。我慢ばかりするのは大間違いだ。

自民党のニュースを見ていると、苛立ちを感じる。そして、日本はいい国だったのにどうしてこんなに暗くて厳しい表情をしている大人が増えたんだろうと思うに至る。我々も宝物なのに。他人の顔色を伺い、炎上を怖れながらびくびくと生きるのはナンセンスである。そのうち死ぬ。毎日寝て暮らせる。ただ、起床することは二度とないのだけれど。だからこそ今の自分を大切にしたい。3月11日、そんなことを考えながら過ごした。

木村達哉

追記
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